当ブログのかなり初期の記事で、定期券の割引率の歴史について取りあげました。
官営鉄道(後の国有鉄道)は1903年に初めて一般利用者向けの普通定期券を発行しています。当初は郊外からの都市部への通勤利用を促進するために設定されたものでしたが、後に社会政策の意味合いが強くなり、普通運賃は値上げしても定期券運賃を据え置くということを繰り返したので、異常に高率な割引率になっていきました。
このことが鉄道事業者の経営を圧迫した一方で、都市の郊外化と電車通勤者の増加をもたらし、鉄道を中心とする日本特有の都市構造を作りあげたとみることもできます。
定期券が普及したのは1920年以降と言われています。1920年に第一次世界大戦による物価高騰を反映した運賃改定が行われた際に、乗車券・回数券が値上げされたのに対して定期券運賃は据え置かれたため相対的に割引率が高くなり、回数券から定期券へのシフトが進みました。1920年当時の割引率は1カ月定期が最大68.5%、3カ月定期が最大74.7%、6カ月定期が最大80.0%にも達しています。
2018年2月13日記事「定期券と割引率の歴史のはなし」より
鉄道サイドからすると、世論に押されて定期券の制度が歪んでしまったわけですが、そもそも定期券の割引率の考え方はどのようなものだったのでしょうか。今でも「何日使うと元が取れる」とか計算して、元が取れる日数が1カ月の平日よりも多くなると何だか損をしているような気になります(多くの人は会社から支給された定期券だと思いますが)。
当初の定期券の割引根拠は、どうやら鉄道作業局(後の国有鉄道)の木下淑夫によって考案されたものだったようです。その理屈を見る前に、まず鉄道運賃の原則から確認しておきたいと思います。

明治から大正にかけて、国鉄で鉄道営業の基礎を作った木下淑夫
木下淑夫に興味を持った方は是非こちらもあわせてご覧ください。
JRの運賃は遠距離になるほど距離当たりの単価が低くなる「遠距離逓減制」という運賃制度になっています。下のグラフを見ればわかるように、1㎞あたりの運賃(賃率)は600kmまではジクザグと16-18円/kmで推移していますが、601kmから先は賃率がどんどん下がってきます。長い距離を乗れば乗るほどお得になるというわけです。

この制度が日本の鉄道運賃に初めて導入されたのは、1901(明治31)年のことでした。木下は、1903年に一般利用者向けの3等普通定期券を新しく発売するにあたって、この遠距離逓減制の概念を当てはめて割引率を計算したというのです。
東京から横浜まで約30kmの道のりを1カ月通えば、30km×往復×25日として1500km、つまり東京・鹿児島間よりも長い距離を乗っている計算になります。定期券とはそれだけの利用を前払いして購入するものですから、1回で1500km乗るのも1カ月かけて1500km乗るのも同様であるとして、期間内の総利用距離に遠距離逓減を当てはめて計算したというのです。
実際に現在のJR東日本の運賃にあてはめて計算してみましょう。通勤定期(幹線運賃)を1カ月(30日)利用するとして比較してみました。
キロ程 | 普通運賃 | 現行定期券 | 木下式 |
1km | ¥ 8,400 (片道140円) |
¥ 4,540 (割引率46%) |
¥ 970 (割引率89%) |
2km | ¥ 8,400 (片道140円) |
¥ 4,540 (割引率46%) |
¥ 1,940 (割引率77%) |
3km | ¥ 8,400 (片道140円) |
¥ 4,540 (割引率46%) |
¥ 3,020 (割引率64%) |
4km | ¥ 11,400 (片道190円) |
¥ 5,500 (割引率52%) |
¥ 4,000 (割引率65%) |
5km | ¥ 11,400 (片道190円) |
¥ 5,500 (割引率52%) |
¥ 5,080 (割引率55%) |
6km | ¥ 11,400 (片道190円) |
¥ 5,500 (割引率52%) |
¥ 5,940 (割引率48%) |
7km | ¥ 12,000 (片道200円) |
¥ 5,830 (割引率51%) |
¥ 6,800 (割引率43%) |
8km | ¥ 12,000 (片道200円) |
¥ 5,830 (割引率51%) |
¥ 7,560 (割引率37%) |
9km | ¥ 12,000 (片道200円) |
¥ 5,830 (割引率51%) |
¥ 8,420 (割引率30%) |
10km | ¥ 12,000 (片道200円) |
¥ 5,830 (割引率51%) |
¥ 9,290 (割引率22%) |
これは現在の運賃表に無理やりあてはめたものなので、当時の距離によって割引率が大きく変わってくるのが特徴的です。ちなみに片道10kmで1か月600kmに達するため、これ以降は区間が長くなるにつれて遠距離逓減が強く効いてくるので割引率は再び増加していきます。
細かく考えると色々矛盾も生じそうですが、全体的な考え方は分かりやすく、妥当性があるようにも感じます。当時の都市圏からすると10km以上も通勤する人はいなかったでしょうから、近距離通勤需要を掘り起こすという意味では理に適った制度だったのではないでしょうか。