【東京都市交通博物館 第4回】現代的なスタイルを確立した戦前期通勤電車の決定版―40系電車

[1927-1936]都市交通の立体化

もうすぐ日本で鉄道が開業してから150年を迎えようとしています。ここ10年で相次いで建設された鉄道の博物館に行くと、鉄道史を彩ってきた往年の名車たちに会うことができます。新幹線、蒸気機関車、ボンネット型特急!あー楽しかった。いや、ちょっと待ってください。今スルーした茶色い箱、一番身近な歴史ですよ!! それベンチじゃなくて展示車両なので飛び跳ねて遊ばないで!!

通勤電車も100年以上の歴史を積み重ねてきました。それどころか電車こそが都市生活者のライフスタイルを作ったといっても過言ではないのです。鉄道博物館に何度も行った方でも、もしかしたらスルーしていたかもしれない通勤電車の歴史、今度行く時はじっくりと見てみませんか?

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第4回 戦前期通勤電車の決定版 クモハ40形(鉄道博物館)

今回紹介するのは、戦前から戦中にかけて首都圏を走っていた通勤電車です。様々なタイプを総称して「40系」といわれる形式で、保存されているのは運転台が2つ設置された「クモハ40形」という車両です。1932年から1942年にかけて、戦前では最多となる400両以上が製造され、首都圏や関西圏の各路線に投入されました。

これまで紹介した車両と比べると随分現代的な形をしており、博物館の収蔵品というより現役の電車に近い雰囲気をまとっています。実際この車両は2000年までイベント列車として営業線上を走っていました。

 

型  式 クモハ40形
全  長 20m(定員124名)
車体構造 鋼製 ボギー車
集  電 架空単線式 直流1500V(パンタグラフ)
製造初年度 1932(昭和7)年

40系電車が新しかったところ

中央線の利用者数は1915年から1935年の20年間で15倍以上に増加しました。増え続ける利用者に対応するために、電車はどんどん長くなっていきます。

当初1両当たり10メートルだった車体は、約30年後に登場した40系電車では長さは倍の20メートルに、定員は4倍近くの124人になっています。これがスタンダードとなり、現在もJRや首都圏の大手私鉄は20メートル車体を採用しています。

また一両が長くなっただけでなく、編成もどんどん長くなりました。たとえば中央線の編成長は、1904年の1両単行運転から始まり、関東大震災後には4両編成、1930年代には7両編成となりました。戦後10年ほどが経過した1958年には早くも10両編成となり、現在に至っています。

 

クモハ40形が走った頃

1920年代後半から1930年にかけて、東京では郊外化の進展とともに私鉄の路線網が大きく伸長します。国鉄においても1932年7月に総武線両国・御茶ノ水間が開業し、中央線と総武線の直通運転が始まりました。御茶ノ水駅から神田方面と秋葉原方面に分岐する複雑な立体交差もこの時に造られたものです。

同時に中央線御茶ノ水・中野間の複々線化が完了し、1933年からラッシュ時に限り中央線の急行運転(現在の中央線快速電車)の運転が始まるなど、本格的な都市高速鉄道時代が到来します。

1933年頃 2018年現在
編成両数 7両 10両
定  員 約800名 約1500名
所要時間
(東京・中野間)
21分(急行)
(平均42㎞/h)
17分(快速)
(平均51㎞/h)
最小運転間隔 4分 2分

アクセス

鉄道博物館

所  在:〒330-0852 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47
開館時間:10:00~18:00(火曜定休日)
入場料金:(大人)1000円 ※2018年7月5日から1300円に改定
最  寄:ニューシャトル鉄道博物館(大成)駅