【営団黒歴史】暴走地下鉄を「放置」2日間折り返せず

朝日新聞 1990年(平成2年)6月8日夕刊より
[1974-1994]国鉄の破綻と再生

横浜地下鉄ブルーラインが壁に衝突 運転士が居眠りか

29日午前8時35分ごろ、横浜市泉区の市営地下鉄ブルーライン踊場駅で、あざみ野発踊場行きの列車(6両編成)がホームに乗客を降ろした後、折り返し運転のため引き込み線に入った際、本来の停止位置を約29メートル通り過ぎて、前方の壁に衝突した。この事故で、男性運転士(42)がすり傷などの軽いけがを負った。

朝日新聞デジタル 2019年8月29日

すっかり忘れられてしまった感のあるブルーライン車止め衝突事故。6月の脱線事故でも車両が損傷しており、予備車が足りなくなって部分的な運休は今も続いているそうです。その時、次のようなツイートをしたのだけど、覚えていますか。

流れ弾が飛んでも悪いと思い、タイミングを見ていたのですが、ほとぼりも冷めたということで、発掘してきた当時の新聞記事を紹介します。

丸ノ内線新宿駅の車止めに折返し電車が突っ込み、壁に衝突するという極めて似た事故が発生したのは、約30年前の1990年6月5日のことでした。

暗い「トンネル」…内証ないしょ!?

暴走地下鉄を”放置”  2日間折り返せず 営団新宿駅構内

営団地下鉄丸ノ内線の新宿駅構内で、客を降ろして引き込み線に入った電車が暴走、車止めを乗り越える事故が起きたため、 二日間にわたって同駅での折り返しができなくなっていたことが七日、明らかになった。脱線した先頭車両は今も残されており、督視庁新宿署は同日、過失往来妨第容疑で捜査を始めた。

事故が起きたのは、五日午後二時三十二分。池袋から新宿に着き、池袋へ帰る電車(六両編成)が折り返しのため、時速約二〇キロで荻窪寄りの引き込み線に入った。ところが約百四十メートル先にある高さ三十センチの車止め用まくら木と、高さ百十センチの車止め標識を乗り越え、さらに二メートル先の地下水くみ上げポンプ室のコンクリート壁に衝突してして止まった。

この事故で、先頭車両は前方の台車が車体からはずれ脱線したほか、前面がへこむなどして、中破。二~四両目までも連結器がめり込む形になった。

営団地下鉄の調べによると、電車は緊急制動状態になっていたが、ブレーキのかけ違れが原因とみられる。運転士は「考えごとをしていて、一瞬空白状態になった。何が何だか分からないうちにぶつかった」と話しているという。

この事故で引き込み線が使えなくなり、五日は午後二時四十一分発の予定だった事故車と、同五十二分新宿始発電車の二本が運休。その後、終電まで四十一本の新宿始発電車は、いったん二駅先の新中野駅まで回送して 折り返し新宿始発にした。六日も六十四本の新宿始発電車を同じ方法で運行。しかし、明のラッシュ時間帯の十五本はダイヤのやりくりがつかずに運休し、荻窪からの直通運転をその分、増発させた。

同地下鉄は事故当日、監督官庁の運省関東運輸局に事故の概要と、「乗客への影響はない」という見通しを報告したが、警視庁などへの連絡はとらなかった。同運輸局側は「加罰性の有無を考える立場にない」との立場をとっているため、事故は七日夜まで表ざたにならなかった。また、新宿駅も六日のラッシュ時間帯に「折り返し線支障のため、当駅始発はございませんのでご了承います」と構内放送しただけで、乗客に事故の説明はしなかった。

公表が遅れた理由について、中山晃・営団地下鉄第一線区運輸長は「乗客にはほとんど影響がなかったので、外部には報告しなかった。これまでも信号違反のミスで電車が遅れることはあったが、人命や火災にかかわること以外は警察には報告していない」と説明している。荻窪からの増発分でやりくりした六日朝のラッシュ帯は、新宿駅の乗客から「座って行ける電車がなくなった」という苦情も出た。堀川雄作・新宿駅務区長は「直通運転に切り替えたことで混雑が過当にばらつき、かえって順調だった」と話している。

事故を起こした電車のうち、ハ両目は七日午前二時すぎ、中野車庫に運ばれた。しかし脱線している先頭車両は動かせなかった。九、十の両日に先頭車両の取り除きや線路の補修をするという。折返し運転は七日から引き込み線の手前部分を使って再開された。

朝日新聞 1990年(平成2年)6月8日朝刊

>「考えごとをしていて、一瞬空白状態になった。何が何だか分からないうちにぶつかった」

ハッキリとは書いていないですが、鉄道業界でが「考えごとをしていた」というのは居眠りと相場が決まっています。しかし、営団本社ののんきさというか、他人事感、すごいですね。道路下は道路管理者から借りている(使わせてもらっている)のですが、その意識は全くありません(苦笑)

>乗客にはほとんど影響がなかったので、外部には報告しなかった。これまでも信号違反のミスで電車が遅れることはあったが、人命や火災にかかわること以外は警察には報告していない

>新宿駅も六日のラッシュ時間帯に「折り返し線支障のため、当駅始発はございませんのでご了承います」と構内放送しただけで、乗客に事故の説明はしなかった

>新宿駅務区長は「直通運転に切り替えたことで混雑が過当にばらつき、かえって順調だった」と話している

今のご時世、こんなことを言ったら大炎上では済みません。ただ、関東運輸局には報告しているので、全く隠すつもりだったというわけでもないでしょう。大事にはしたくないという意識が働いたとしても、本気でこの程度の対応でいいと思っていたのです。

朝日新聞は、その日のうちに現場に入り衝突した車両(新鋭の02系!)の写真を撮影しています。

台車はずれまくら木散乱 丸ノ内線事故で実況見分

営団地下鉄丸ノ内線が新宿駅構内の重止めを乗り越えて脱線した事故で、警視庁新宿署は八日未明、現場を実況見分し、過失往来妨害容疑での実質的な捜査を始めた。営団地下鉄が五日の事故発生から二日間も公表を控えたうえ、後部車両をすでに移送してしまったことから状況の把握が困達になっているが、同署は同日中にも運転士ら関保者から事故原因などについて事情を聴く方針。

現場に一両だけ残された先頭車両は、車止めを乗り越えた反動で浮き上がったまま、その先にあるポンプ室の壁にぶつかって止まった状態になっている。すでに復旧用機材が車内に持ち込まれるなど事故当時の状態に手が加えられているものの、車体からはずれた台車の下にはまくら木の破片が飛び散り、衝突の激しさをうかがわせる。

営団地下鉄側は、八日夜の営業運転終了後の九日未明から車体の引き出し作業を始め、十二日朝までに完全復旧させる予定。

朝日新聞 1990年(平成2年)6月8日夕刊

>事故発生から二日間も公表を控えたうえ、後部車両をすでに移送してしまったことから状況の把握が困達になっている

うーん、証拠隠滅、悪質ですね! 営団地下鉄は許せないな!!

ただ、今とはニュースバリューというか、鉄道会社に求められる規範が全然違ったんですね。朝日新聞は写真入りで報じていますが、翌日以降、特に続報はありません。同日の大手紙紙面を当たってみても、読売新聞に次のような記事がある以外に、取り上げている新聞は見つかりませんでした。

ブレーキかけ忘れ壁に衝突 事故をヒタ隠し 営団地下鉄丸ノ内線

営団地下鉄丸ノ内線の新宿駅構内折り返しで、電車が車止めに乗り上げ、車両四両が中、小破していたことが七日明るみに出た。運転士(27)がブレーキをかけ忘れたためで、営団は間引き運転をしていたが、「乗客にあまり迷惑はかけなかった」として三日間ヒタ隠しにしていた。最初庁新宿署は七日、列車往来危険の疑いで現場検証した。

事故があったのは五日午後二時三十二分ごろ、池袋発新宿行き電車(六両編成)が新宿駅で乗客を降ろし、折り返しのため荻窪方向と池袋方向の本線の間にある折り返し線に進入、ホーム端から約二百メートル先の停止線を時速約二十キロで通り過ぎ、レールを曲げて作った高さー・ーメートルの車止めを乗り越えたうえ、コンクリート壁に衝突してようやく止まった。

この事故で先頭車両の前部車輪台車が脱落、窓ガラス一枚が割れたほか、連結器が壊れたが、運転士などにけがはなかった。営団の調べによると、ブレーキをかけた形跡はなく、運転士は「考えごとをしていてブレーキをかけなかった」と言っている。運転歴は六年で最近の健康診断で異常はなく、勤務態度も普通だった。当日は午前七時過ぎから午後四時までの勤務で、池袋、荻窪間などを四往復運転することになっていた。

読売新聞 1990年(平成2年)6月8日朝刊

ちなみに読売新聞は一週間後に次のような「続報」を出しています。

東急でも”事故隠し” 目蒲線の乗客には「車両故障」

東京急行電鉄目蒲線の目黒駅で十二日夜、電車が停止線をオーバーし、車止めに接触する事故を起こしていたことが十四日、明らかになった。乗客にけがはなかったが、目黒駅では事故直後、乗客に「車両故車」と説明しただけ、東急本社は、運輸省関東運輸局にはこの事故の発生を報告したが、外部には公表していなかった。今月七日にも、営団地下鉄丸ノ内線で事故隠し”が発覚したばかり。

東急側の説明によると、十二日午後六時三十四分、同駅一番ホームに到着した浦田発目黒行きの電車が、停止線を約五メートルオーバーし、車止めに接触して停車した。この際、電車前方の車台部分の「受電器」と呼ばれる装置と車体をつなぐ鉄棒が折れ曲がり、ブレーキ用のホース一本を破損した。この電車は点検のために回送され、目黒~奥沢駅間で一本が運休になった。東急本社では、運転士(44)の制動ミスだったことを認めているが「幸いけが人もなく、お客さんに不安感を与えぬよう対応した。事故を隠すつもりはなかった」と井明している。

読売新聞 1990年(平成2年)6月15日朝刊

あーよかった、天下の東急様もおんなじだったんだ。鉄道業界の意識は、この30年で随分変わったようですね。こういう感覚は今でもゼロとは言えませんが。

>幸いけが人もなく、お客さんに不安感を与えぬよう対応した。事故を隠すつもりはなかった

たぶんですけど、電力会社は今でもこのような意識を引きずっているんじゃないでしょうか。