路線図は1933年に“発明”されたーベックと吉田と路線図のこれからについて

[1927-1936]都市交通の立体化

先日御茶ノ水を題材に「路線図の分かりにくい表現」についての記事を書きましたが、色々調べる中で面白い論文や記事を見つけたので、路線図の歴史と表現技法、トレンド、今後の展望について雑多にまとめておきたいと思います。

JR御茶ノ水駅の二股関係―乗換駅のややこしい話

 

仕事の合間に路線図を作ったロンドンの鉄道技術者

普段から様々な路線図に見慣れている私たちには当たり前のことのように思えますが、路線図を実際の地形(地図)とは異なる位置関係であると理解しつつ、そこから路線の関係性を読み解くという行為は、いきなり提示されてもできるものではありません。

このような路線図は実はそれほど古いものではなく、1933年にイギリスのロンドン市交通局が初めて作成したと言われています。東京都交通局の特設サイトに掲載されている多摩美術大学の永原康史教授の解説が分かりやすいので紹介します。

その路線図は、路線を実際の線路に沿って引くのではなく、垂直・水平・45度の線で整理したものです。また、乗り換え駅をわかりやすくするために並置して示し、駅の多い都心を広くとり駅の少ない郊外を狭くするなど、現実の空間認識とは異なる地図でした。
それは、交通局のいち電気回路製図工であったハリー・ベックが勤務外の時間で完成させたものなのですが、そのダイアグラム型の地図がもつモダニズム的な特徴がゆえに世界中に影響を与えたのだと思います。

※ダイアグラムとはコミュニケーション・デザインの分野で、伝えたい情報を、二次元の抽象化された図、記号、数式、文字列、関係表現によって、平明に呈示・説明したもの(現代美術用語辞典

これがどういうものなのかは実物の画像(出典:London Transport Museum)を見てもらえればすぐに分かります。どこかで見覚えがあると思いませんか。そう、営団地下鉄時代に用いられていた路線図(出典:黎デザイン総合計画研究所)は、このベックマップの手法で作られているのです。現在の路線図よりも分かりやすかったという方もいらっしゃいますね。この革命的な表現方法は世界的なブームとなり、各国の地下鉄路線図で用いられました。

 

ジオグラフィック型路線図のトレンド

ベックマップはきっちり決まるときれいで見やすく分かりやすいのですが、路線が増えて線を継ぎ足していくと、どうしても苦しい部分が出てきてしまいます。ニューヨーク地下鉄の路線図も1970年代になると分かりにくいという声が増え始め、実際の位置関係に近いジオグラフィック型の路線図に切り替わっていった歴史があります。

ニューヨークはマンハッタンとクイーンズ、ブルックリンを含めると、ロンドンとは比べ物にならないくらい大きな都市です。路線も多く、非常に入り組んでいる。ダイヤグラム化すると、どうしても実際の地理とはかけ離れていくんですね。例えば、乗り換えをする時、改札の位置が地図とは方向が違っていたため、乗客が混乱するようなことがあった。そこで、実際に近い地図にマッピングしなおし、ランドマークなども追加しました。

このトレンドは東京も同様で、東京メトロは民営化を契機に現在の路線図に切り替えましたが、現在も一部でベックマップの手法で書かれた路線図が用いられています。

引用した記事によると、東京都交通局は案内サイン類の見直しの一環として、地下鉄とバスを一体化した路線図を両方のパターンで作って検証していたようです(というものの右はジオグラフィック型というよりただの地図ですね)。

一長一短あり、要は使い方と相性の問題ということでしょう。紙という媒体に縛られる必要がなくなった現在は、もはやどちらがいいかということではなく、どちらのいいところも取り入れるということで、スマートフォン用の地図では用途や拡大率によって情報の密度や表現方法が切り替わる機能も取り入れられています。

もう一つの動きとしては、訪日外国人向けの案内マップなど、対象と役割が明確な路線図は無理にすべてを表現しようとせず、外国人が多く訪れる観光スポットとその移動の軸となる路線に特化したものが出始めています。しばらくは多様なニーズはデジタル媒体で受け止め、紙媒体は特化したニーズに対応する時代が続くかもしれません。

 

路線図デザインに関する研究事例

デザイン科学が専門の千葉工業大学長尾徹教授は「鉄道路線図デザイン方法に関する研究と提案」で2003年に博士号を取得しています。この成果は著書にまとめられているので今度しっかり読んでおきたいのですが、J-STAGEで無料公開されている個別の論文からも研究の一端を垣間見ることができるので、とりあえずメモがてら紹介しておきたいと思います。

環状線の存在しない鉄道路線網の位相図化の研究 : 銭道路線図位相図化・デザイン方法の研究(3) (共著) 2002/11
鉄道路線図の位相図化と憶えやすさの基礎的研究 (共著) 2002/10
鉄道路線図における駅シンボル表記に関する研究 : 鉄道路線図位相図化・デザイン方法の研究(2) (共著) 2002/09
鉄道路線図の成り立ちと検索性に優れた位相図化について : 鉄道路線図位相図化・デザイン方法の研究(1) (共著) 2002/01

まずは「鉄道路線図の成り立ちと検索性に優れた位相図化について」を読めば十分かと思います。この研究では鉄道路線を概念化・抽象化することで路線図が成立してきた過程をふまえ、一般人が路線網をどのように認知しているか実験することで、人間にとって分かりやすい構造を解き明かしているのです。

本論では、まず鉄道路線図の成立過程を調査した。次に鉄道路線網がどのように認知されているかの観察調査を行った。その後、鉄道路線図に求められる検索性に注目し、位相図構成要因が検索性に及ぽす効果の検証実験を行った。被験者の知識による差異を排除するために、認知されている路線網と既存の路線図に対する観察を基に、位相図構成要因を抽出、水準を設定し、パターンの異なる3路線網について実験用の位相図を作成した。

鉄道の路線を示した図は、はじめは地図上の線路を太く強調して示すことから始まります。鉄道路線網が拡大して地図の縮尺のままでは読みにくくなると、中央と周辺で縮尺を変えたり線路のカーブをデフォルメするなど、実際の地図にとらわれずに描写をする路線図が生まれていきました。こうした試行錯誤の末に冒頭で取り上げたロンドン地下鉄のベックマップが登場すると、路線図は実際の位置関係や距離からも解放されて、ただ見やすさと美しさを優先して作られるようになりました。利用者は地図を介さずとも、抽象化・デザイン化された情報のままで鉄道路線網を把握しているのです。

それを踏まえて行われる実験では、被験者に記憶を元にして首都圏のJR路線図を描いてもらいます。その形状や描いた順序と、被験者の居住地や鉄道利用経験などを照らし合わせて、路線網がどのような路線図として認識されているか分析を進めます。例えば山手線は被験者のほとんどが紙面の中央に円形(正円または楕円形)として、また過半数が一番最初に描いた路線でした。中央線も多くの被験者が東西の直線として描くなど、JRのネットワークの中心として山手線と中央線を、円とそれを横切る一本の直線という単純化した図形として認知していることが明らかになります。

このようにして路線図の分かりやすさ(検索性)がどのような要因によって決定されるかを検証し、利用者が構造を理解しやすい路線図を作るためにはどのような角度や丸みで描けばよいかという指針を作りました。この研究はダイアグラム型の路線図にはまだまだ可能性があることを感じさせてくれます。

 

初三郎鳥観図という融合型路線図の試み

実はベックマップが誕生するよりも前に、日本でダイアグラム型とジオグラフィック型が融合した路線図が大流行したことがあります。これは非常に先進的かつ独創的な試みであり、鉄道路線図史上重要な意味を持っているのではないかと思っています。

このような絵を見たことはありませんか(出典)。

これは戦前から戦後にかけて活躍した吉田初三郎という画家が手掛けた鳥観的案内図です。

吉田初三郎は、明治17年(1884)に現在の京都市中京区に生まれました。幼い頃から絵が好きであった初三郎は、友禅の図案工などを経て、洋画家を志して関西美術院長の鹿子木孟郎に入門します。しかし、師から商業美術家への転身を勧められたことや、大正2年に刊行された京阪電車の沿線案内図が、学習院普通科の修学旅行で男山八幡宮を訪れた皇太子(のちの昭和天皇)の賞賛を受けたことから、パノラマ風の観光案内図の製作を手がけるようになります。

出典:京都府立総合博物館デジタル展覧会「京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」より

歌川広重の東海道五十三次絵に影響を受けた吉田は、鉄道・自動車・飛行機などが発達する交通万能時代にふさわしい、日本全国の名所と交通の関係を示した絵を描きたいと考え、この鳥観図を生み出したと言います。昭和天皇が「綺麗で分かりやすい」と称賛したこの案内図は、交通事業者、観光地、新聞社からの発注が相次ぎ、全国各地で大ブームを巻き起こしました。吉田が生涯で遺した鳥観図は千枚以上とも言われています。

吉田の鳥観図は単に地図を立体的、俯瞰的に描いたものではありません。線路は実際の路線の形にとらわれず直線的に描かれ、駅は等間隔にバランスよく配置されています。吉田は鳥観図作成にあたっての構図上のポイントを次のように語っています。

常に一つの中心を定めて、是れに基礎を置き、更に部分的のスケッチを幾百枚となく集め、是を全交通にあてはめて、始めて山水の布置が決定せられるのである。是れが仮に平面図を立体的鳥瞰的に再現するのであれば、其の骨組の根本は、自然のままの山水布置にあるのであらうが、私のは決して然うではない。従って私の作品に於ては、必要と思われる中心点が、随所で拡大されて、他は其の交通関係を示しつつ、全体の調子を繋いでいるに過ぎないのである。

出典:京都府立総合博物館デジタル展覧会「京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」より「如何にして初三郎式鳥瞰図は生まれたか」『旅と名所』創刊号(昭和3年8月刊)

次の絵は1926年に発行された「目黒鎌田電鉄東京横浜電鉄沿線名所案内」つまり現在の東急電鉄の路線図ですが、目黒・渋谷方面、蒲田・横浜方面に延びるX字型の路線網を、田園調布を中心に据えることでその意図を見事なバランスで描き出しています。また山手線を円形で示すことで各ターミナルから東京都心へのアクセス性も表現するとともに、点線で描かれた延伸構想(いずれも未成)に強いメッセージ性を持たせています。

こちらの「東海鳥瞰大図絵 : 名古屋から日帰りの旅」も観光案内としても広域路線図も非常によくできています。

死後しばらく忘れられていた初三郎式鳥観図は1999年に堺市博物館で開催された大規模な企画展を契機に再評価が進んでいます。大正広重と呼ばれる壮大で優美なパノラマ地図というだけでなく、大正から昭和初期に鉄道路線網のダイアグラム化、そして沿線のジオグラフィック化に取り組んだ先駆者という観点からも注目されていいのではないかと思います。