ガールズ・アンダーグラウンド―日本女性鉄道員史(中編)

1000形の車内でストライキ解決を喜ぶ女性駅員たち(リコ式吊り手が見える)
[1927-1936]

100年前に実在したエプロン姿の22歳女性駅長!?―日本女性鉄道員史(前編)

前編では鉄道・軌道会社における女性現業職員の先駆的事例を取りあげましたが、あくまでもそれらは地域または時代的な例外であって、女性の就職先として鉄道は選択肢にはなり得なかったようです。

たとえば1924年発行の『現代青年子女職業の智識』では、女性の職業として判任文官(官吏)、電話局員(電話交換手)、一般事務員、デパート店員、タイピスト、記者、看護婦、自動車運転手、自動車車掌を挙げていますが、鉄道業界は青年の欄にしか掲載されていません。

また1932年発行の『職業婦人を志す人のために』でも、医師・教師・官吏など知能的職業、タイピスト・電話交換手など技能的職業、家政婦・給仕・エレベーターガールなど肉体的職業の3つに大別して紹介していますが、やはり運輸関係では自動車車掌しか記載されていません。関東私鉄の公刊年史を見る限りでは、太平洋戦争末期の動員以前に女性を鉄道員として採用していた会社は確認できません。ある一社を除いて。

東京地下鉄道の女性採用

いち早く女性を駅員として採用したのが東京地下鉄道でした。

東京地下鉄道は開業以来均一運賃制を採用し直接硬貨を投入できるターンスタイル自動改札機を使用していましたが、並行するバスや路面電車に比べて近距離が割高となり利用が低迷したため、1931年9月から区間制運賃に変更することになりました。

(ターンスタイル自動改札機についてはこちらを参照)

90年前の銀座線で使われていた日本最古の”自動改札機”は「子ども無料」だった!

硬貨を直接投入する自動改札機は廃止となり、きっぷうりばで購入した乗車券で改札を通る一般的な方式に切り替わるため、東京地下鉄道は開業以来初めて出札掛を採用する必要に迫られたのです。

そもそも人件費削減のため導入したターンスタイル自動改札機だったのに、新たに人を雇わねばならないというのは大誤算です。経営状態が芳しくない東京地下鉄道は合理化策として出札掛に女性を採用することになりました。

1930年頃の東京地下鉄道浅草駅

『もぐらのうた―1932年東京地下鉄争議記録集』によると、募集は女子商業、錦秋高女、東洋高女など学校を通じて行われ、70名ほどの応募者があったそうです。採用試験は本社運輸課で3回にわたって行われ、面談で暗算、家庭状況、志望動機などを聞くもので7人が採用されました。

劣悪な労働環境とストライキ

彼女らは改札付近に設置された鳥かごのような小さな箱の中できっぷを発売しました。当初6時から23時まで勤務して翌日は休みという交代勤務で、後に6時から15時半の早番と、15時から0時半の遅番の交代制になったようです。

陽が当たらず粉塵漂う地下特有の劣悪な職場環境に加え、求人では日給1円とされていたのが実際は90銭、70銭しかもらえないなど不満も多く、そうした声が1932年に発生した地下鉄初のストライキ「もぐら争議」に繋がっていきます。

上野車庫線に止めた電車に籠城して会社と交渉した

このストライキの要求事項の中心となったのがトイレ問題でした。中間駅は一人勤務でトイレは設置されておらず、他の駅に交代要員を頼まなければトイレにも行けない環境で、女性は特に困っていたそうです。他にもエロ助役からのセクハラなど、女性の悩みは尽きなかったとか。

女性駅員の拡大

それでも東京地下鉄道の女性採用はどんどん拡大していき、前掲書によると1932年には運輸課の従業員約170人中55人が17歳から22歳の未婚の女性だったといいます。当初の業務は出札が中心でしたが、1930年代後半には男性と同様に駅業務全般を担いました。

1938年に15歳で東京地下鉄道時代に入社して、戦後は営団の運転部次長を務めた故吉村新吉氏の回想録によると、駅の指導係は女性の先輩だったそうで、こんなことを書いています。

小さな改札口の囲いの中でお姫様のような先輩と一緒に仕事、なんて男ばかりの中で育った私にはまるで夢の国に行ったよう。脂粉の香り、優しいお言葉、二十歳前後の綺麗なお姉さまに親切にご指導いただき、休憩にはお茶まで入れて下さる。ドキドキして勤務時間が終るのが惜しいくらいの幸せな時間だった。

しかもたとえば新橋の駅では地下鉄ストアの人形焼き屋の若い衆がお姉さんに気があるのか、ケースの鍵をかけないで片目をつぶって帰る。深夜のお客さんが少なくなると人形焼でお茶という楽しいこともあった。

吉村新吉『もぐらの履歴書』p.50

まあエロおやじの思い出話なのですが、5年ほどの間に随分と労働環境は改善し、女性駅員も後輩の指導をするくらいまでの立場になっていることが分かります。

ちなみに、東京地下鉄道といえばブルーのイタリアンスタイルの制服が有名ですが、吉村氏によれば同じブルーの女性用事務服があったようで、和服の上に着ている人が多かったとか。

戦時体制が本格化して、鉄道現業がもんぺスタイルの女性鉄道員で占められるようになるのは、それより5年ほど後のことになります。

後編に続く