【ニッポン鉄道第1号】大雪の日は事件が起こる? 東京の大雪第1号

フリー写真素材「写真AC」より
ニッポン鉄道「第1号」

相沢正夫の『ニッポン第1号記録100年史』から「ニッポン鉄道第1号」を紹介するシリーズの第4回は、明治16(1883)年2月に降った、未だ破られぬ最大積雪46センチの記録を残した「東京の大雪第1号」である。

シリーズ概要と相沢正夫氏についてはこちらの記事を参照(記事一覧はカテゴリーから)。

【ニッポン鉄道第1号】線路の置き石第1号と一番ヤバいの

 

1883(明治16)年2月8日「東京の大雪」第1号

いまだ破られぬ最高積雪四六センチ
白木屋に客なし、古今の記録

明治16年2月8日(木曜日)の東京は、大雪になった。7日の午前2時ごろから降り出してそのままやまず、当時の新聞に載った古老の話では40年このかたの珍事という。たしかに、そのときから42年前、天保12年の12月17日に江戸は大雪に見舞われ、「武江年表」には「大雪三尺積る。浅草寺年の市、詣人少なし」とあるから、古老の記憶もまんざらではない。それにも匹敵したこの日の雪は、江戸が東京となり文明開化の町に衣替えして以来、観測史上初の大雪であった。

東京都中央区の区史巻末年表に「明治9年1月18日、銀座の積雪51センチ」というのがあるが、気象庁の記録によると、明治16年2月8日の東京の積雪46センチは、明治9年1月1日に東京気象台が統計を開始してからの最深積雪であっただけでなく、この記録は現在にいたるまで破られていない。翌2月9日の東京日日新聞はその日の東京の様子をこう伝えている。

「軒下の雪除けあるところにても三尺に近く満ちたれば、ましてや往来の風の吹溜るところにては五尺より六尺にもおよびたらんか。銀座の通りも人一人行き交うを見ず。新富座も今日は休みたり。新橋の汽車も今朝より運転をとめられぬ。鉄道馬車も出でず、乗合馬車もなし。昨日までは目を突くごとく多かりし人力車すら今朝はいずこへ隠れけん、影さえ見えず。公の司のうち、司法省は卿補とも不参にて属官の向きも平常の四分の一よりは出頭せられず。大審院も院長と判事の三名の外はおん出でなし。東京始審裁判所は判事も補も大方は出頭ありしが人民はすべて不参なり」

特筆すべきは白木屋(現・東急百貨店日本橋店)の三百年史の記事である。すなわち、「明治十六年二月八日。大雪にてお客一人もなし。古今を通じての記録なり」。

相沢正夫『ニッポン第1号記録100年史』講談社,1981年

日本で近代的な気象観測が始まったのは1875年6月のことだが、積雪量の記録は体系的・恒常的に行われていたものではなく、大雪があれば観測して記録をつけるといったものだったようだ。「新橋の汽車も今朝より運転をとめられぬ。鉄道馬車も出でず、乗合馬車もなし」とあるが、これより前に鉄道が大雪で運転を見合わせたことがあったかは定かではない。ただ、白木屋(東急百貨店も1999年に閉店し、現在跡地にはコレド日本橋がある)が「お客一人もなし。古今を通じての記録なり」というくらいだから、歴史的な大雪だったのは間違いない。

東京の大雪は事件を呼ぶと言われている。元禄15年12月14日(1703年1月30日)、大石内蔵助以下赤穂浪士47名が深夜に吉良屋敷に討ち入り、吉良上野介を討った「赤穂事件」。安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外で水戸藩の脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」。一番有名なのは1936年に発生した「二・二六事件」だろう。

それは東京に何度も大雪が降った冬のことだった。2月4日に都心を襲った暴風雪の積雪は32センチを超えた。23日にも本州南岸を発達した低気圧が通過し、36センチの積雪を記録。46センチの積雪を記録した明治16(1883)年以来の大雪となった。

3日前の大雪が溶け切らないまま迎えた26日早朝、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げる陸軍皇道派の青年将校が1483名の兵を率いて決起した。反乱軍は首相官邸、政府首脳私邸、警察庁、新聞社を相次いで襲撃、高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣らが殺害されるクーデター未遂事件「二・二六事件」の幕開けであった。

二・二六事件の反乱軍(撮影:石川光陽)

この日は朝から電車が止まっていたと回想されることがあるが、反乱軍が鉄道網を制圧していたわけではない。23日の大雪以降、気温が低い日が続いたため積雪が減らず、交通がしばらくマヒ状態にあったというのが真相のようだ。

東京地下鉄道社員の中村通夫は、高砂から押上までは雪で止まっている京成線の線路上を歩き、押上から浅草に出て、そこから地下鉄に乗って上野に出勤した。大雪の影響を受けずに運行していたのは地下鉄だけで「これこそ庶民の足」と誇らしげに思ったと回想する(朝日新聞「地下鉄物語」)。

26日の雪が降り始めたのは、反乱軍が要人の襲撃を終え、事件が明るみに出始めた、朝8時を過ぎてからのことだった。

自著『戦ふ交通営団』より

しかし事件時の雪は当日のものではなく、当日も雪が降っているが、降り始めたのは事件後であった(詳しくは下記記事を参照)。

一番の大雪となった1883年も、何も起きなかった日、東京が静まり返った日として記録されている。1875(明治8)年以降の東京の積雪ランキング(気象庁webサイトより)は次の通り。明治3回、大正1回、昭和5回、平成1回と全部そろってるが、(当たり前だが)何でもなかった日の方が多い。

日付 積雪量
1 1883(明治16)年2月8日 46cm
2 1945(昭和20)年2月22日 38cm
3 1936(昭和11)年2月23日 36cm
4 1951(昭和26)年2月15日 33cm
5 1887(明治20)年1月18日 31cm
6 1969(昭和44)年3月12日 30cm
7 1954(昭和29)年1月25日 30cm
8 2014(平成26)年2月15日 27cm
9 1925(大正14)年1月30日 27cm
10 1892(明治25)年2月19日 25cm

記録の確かな1962年以降2018年までの57年間(気象庁webサイトより)の降雪状況を振り返ると次のようになる。

年の最大積雪量 回数 頻度
25cm以上 2 28.5年に1度
20cm以上 8 7.1年に1度
15cm以上 12 4.8年に1度
10cm以上 14 4.1年に1度
5cm以上 26 2.2年に1度
1cm以上 42 4年のうち3年は雪が積もる
1cm未満 15 4年のうち1年は雪が積もらない
降雪なし 3 2007,2009,2017と近年のみ

この一覧には含まれていないが、2018-2019年の冬は、雪は舞ったが積雪せず、4年に1度の雪の積もらない年だった。