【ニッポン鉄道第1号】鉄道車両への飛び乗り飛び降り第1号

官営鉄道新橋駅(日本鉄道紀要より)
ニッポン鉄道「第1号」

相沢正夫の『ニッポン第1号記録100年史』から「ニッポン鉄道第1号」を紹介するシリーズの第2回は、明治15(1882)年に開業した馬車鉄道の「飛び乗り飛び降り制」である。

シリーズ概要と相沢正夫氏についてはこちらの記事を参照(記事一覧はカテゴリーから)。

 

1882(明治15)年「飛び乗り飛び降り制」第1号

停車発車のたびの馬力省エネ策
会社は歓迎、随所で乗り降り

明治15年6月25日、東京の新橋―日本橋間で馬車鉄道が開業し、10月には日本橋からさらに浅草―上野にいたる全線が開通した。

馬車鉄道とは、軌道の上を走る馬車だが、馬は二頭立て、乗客の定員24―27人、乗務員は御者と車掌各一名で、特に停留所は設けず、客は任意の場所で乗り降りした。これはのち、明治28年1月31日、初めての路面電車が京都に登場した当初も同様である。つまり、停車場から停車場まで客を運ぶ鉄道とは違い、随所で乗り降りできるのでなければ、市内交通の便とはならないという考え方からであった。

しかし、停車・発車のたびに、文字通り馬力がかなり必要なので、それが頻繁になればなるだけ馬の疲労は増す。そこで会社としても、馬がいちいちとまらないですむよう、客の飛び乗り飛び降りを歓迎した。この習慣は、後年そのまま市内電車からバスへと引き継がれ、鉄道でも自動ドアの電車型が普及するごく近年までは駅のアナウンスが「危い、危い。飛び降りはやめて下さい」と絶叫するありさまであったが、その第1号は、こうして、市内交通の発足と同時に誕生した。

明治29年になって、随時停車をやめ、一定の場所でだけとめることに改めたとき、東京日日新聞は、7月29日の記事でこう書いている。「近来、欧米諸国にては市外電車を、区域中二、三、適当の場所に目標を設けて乗降せしむるの順序になりおり、一般に飛び乗り飛び降り巧みにて、途中はほとんど停車せざる有様なる由。東京市内にても、飛び乗り飛び降りをなす人、少なからざるいたるも、なお老幼婦人、その乗降に停車を要する人あるをもって、以後乗車下車は、辻の角々に限ることとし、8月1日より実行する由。ただし、飛び乗り飛び降りはこの限りにあらず」。

相沢正夫『ニッポン第1号記録100年史』講談社,1981年

「この習慣は、後年そのまま市内電車からバスへと引き継がれ」と記事にある通り、飛び乗り飛び降りの習慣が後まで残っていたことを示す記録がある。1971年に東京都交通局が発行した『都電 60年の生涯』の巻末に収録された都電乗務員OBの座談会だ。

最古参は1924(大正13)年4月1日に見習生として入局した方。「なつかしきあの頃」と題して語られるのは、市電時代の思い出ばかりだ。その中で飛び乗り飛び降りのくだりは、前後の話の流れからすると大正末から昭和ごく初期、昭和金融恐慌が直撃するよりも前のことだと思われる。

司「ところで、飛び乗り飛び降りが盛んだったようですね。
C「ドアがなかったからね。」
A「飛び乗ってくると、首のところをつかんで、乗せてやるんですよ。」
B「飛び乗りそこねて、落ちると大変だからね。」
C「しかし、今のように、けがをしたという申し出もなかったようですね。」
A「あの頃は、転んでも平気で行ってしまうんです。こちらがひやっとしても、むこうは起き上がって平気でさっといってしまうんです。」
D「当時は、飛乗り、飛降りができない者は、一人前じゃなかったからね。」

東京都交通局『都電 60年の生涯』1971年(「司」は司会、他は出席者)

「ドアがなかったからね」というのは、当時の車両は車内と車外が直接ドアでつながっているのではなく、デッキから車内に乗り込む構造だったからだ。文字通りデッキに飛び乗ったり、デッキから飛び降りることができたというわけ。1919(大正8)年に登場した1653形電車以降は、車体全長を拡大するとともに中扉を設置するようになったが、旧型のデッキ付き車両はしばらく後まで使われ続けた。

「都電 60年の生涯」より車体構造の比較

相沢の記事にあるように、こうした「蛮習」がなくなった理由は「自動ドアの電車型が普及」して飛び乗り、飛び降りができなくなったからだ。手動ドアの旧式客車が生き延びた地方の路線では「飛び乗り、飛び降り」マナーはしばらく後まで現役だったようだ。

JR奥羽本線及位駅の掲示物「sonical405の鉄旅レポート」さん

ただし、どの時代、どの世界にも例外というものはあるようだ。

神戸市東灘区のJR住吉駅で、時速百キロもの猛スピードで通過する新快速電車から男がホームに飛び降り、立ち去っていたことが三日、兵庫県警の調べで分かった。男は居合わせた客の視線を気にせず、何事もなかったように歩いて姿を消したという。

県警は、鉄道営業法違反の疑いで行方を探しているが、警官らも「こんな『途中下車』は聞いたことがない」と首をかしげるばかりだ。

二日午前十時四十五分ごろ、同駅ホームで、近江今津発姫路行き新快速電車から、赤い服を着た若い男が飛び降りるのを複数の人が目撃。男は勢いで鉄製フェンスに激しくぶつかったが、そのまま改札口の方に歩いていったという。

2002年7月4日付「神戸新聞」

飛び降り、ダメ、ゼッタイ!