【ニッポン鉄道第1号】線路の置き石第1号と一番ヤバいの

フリー写真素材「写真AC」より
ニッポン鉄道「第1号」

今は忘れられた存在だが、相沢正夫というフリーライターがいた。相沢は1924年静岡県に生まれ、法政大学経済学部を卒業。サン写真新聞の取材部記者を経て独立した。「サン写真新聞」とは1946年に創刊された日本初のタブロイドサイズの夕刊紙で、戦時中に発行が制限されていた夕刊の再開にあたって、既存新聞の増ページ扱いでは認可が下りなかったことから新たに設立された毎日新聞系の新聞社であった(『毎日新聞百年史』より。ちなみに1960年廃刊)。

相沢は1970~80年代にかけて、今でいう「雑学本」を多数出版している。

『社名・商品名雑学事典』毎日新聞社 1976年
『数学雑学事典』毎日新聞社 1977年
『はじめはじめ雑学事典』毎日新聞社 1977年
『発祥の地物語』日本書籍 1978年
『ニッポン第1号記録100年史』講談社 1981年
『明治・大正・昭和おもしろ雑学事典』毎日新聞社 1984年

今でも書店に並んでいそうなタイトルが並ぶが、内容は現在のそれとは全く異なる。例えば、明治以降登場した「初めての○○」を紹介する『ニッポン第1号記録100年史』は、「凧の電線事故裁判(明治7年)」「受験写真と出題ミス(明治24年)」「振り替え休日論(明治33)」「身の上相談(明治41年)」など妙にマニアックな題材だったり、今でいうポリティカル・コレクトネス運動を取り上げた「不快用語の追放(明治10年)」や「議員センセイの珍読誤読(明治24年)」など時代を先取りしすぎた鋭い題材を取り上げるなど、今読んでも面白い本である。いずれも真偽があやふやなエピソードではなく、新聞や文献の出典を明らかにしながら、1ページ程度で軽妙洒脱にまとめているから読みやすく、面白い。

相沢の著書はいずれも絶版であるが、amazonなどで中古本が1円(送料別)で出品されているので、興味がある人は是非読んでほしい。

『ニッポン第1号記録100年史』が紹介する200以上の項目の中には、鉄道・交通ネタも多く取り上げられている。ここから抜粋して、毎週土曜日17回のシリーズに分けて「ニッポン鉄道第1号」を紹介していきたい。第1回は、明治10(1877)年に起きた「線路の置き石第1号」である。

1877(明治10)年10月1日「線路の置き石」第1号

やっぱり悪ガキの仕業であった
誰にも潜在する衝動的心理か

汽車を走らせるために線路が敷かれる。するとその線路の上に石を置いてみたくなる……。誰に教わる、何から覚えたということではなく、こうした衝動にかられる心理を人は潜在的に持っているらしい。線路への置き石事件第1号は、鉄道開通5年もたたない明治10年1月に起きている。

明治時代の工部省の記録のうち「鉄道之部」に10年1月25日付で「大森駅線路ニ障碍セシ者巡査ヘ引渡ノ由」というのがあり、これは鉄道局の書記官から工部卿伊藤博文に宛てた届書だが、ここに最初の置き石事件の報告が載っている。すなわち、1月24日午後3時ごろ、大森駅の鎌田女塚横の切通(ふみ切り)線路上に四寸方(一辺約12センチ)の石を積み重ねているところを作業員が見つけて巡査に引き渡したというもの。やったのは、川崎駅稲荷横町の悪ガキであった。

この一件により、鉄道局でも線路の巡察に力を入れ始めたやさき、こんどは6月22日午後3時ごろ、新橋駅近くの金杉裏上り線路に怪しい男の居るのを守線手(保線員)が見つけて、格闘のすえ捕えた。そしてヒョイと横を見ると線路の上に大きな石が六、七個も積み上げてあるのでビックリ仰天。数分後には横浜を2時34分発の新橋行列車がくる。男を殴りつけておいて急ぎこの大石を取り除き、ことなきをえた。

この男、東京府下芝口一丁目の風呂屋に奉公する35歳の風呂たき。鉄道には別にうらみはなかったが、前の晩酔って帰って女房とケンカのあげく、「意気地なし」と馬鹿にされた腹いせに、岡蒸気を引っくり返して鼻をあかしてやろうと、線路わきにあった鉄道施設用の土台石を運んで積んだという。子供のいたずらと違って、こちらの方は一人前の男がたくらんだ置き石による列車転覆未遂事件の第一号である。

相沢正夫『ニッポン第1号記録100年史』講談社,1981年

日本鉄道史上最悪の「置き石」事故は、「置き石第1号」から約100年が経過した1980年2月20日夜に大阪府枚方市で発生した京阪線列車脱線転覆事故だ。中学生5人グループが金網を乗り越えて線路に進入し、京阪電鉄本線枚方~御殿山間のレール上にコンクリート製のケーブルトラフの蓋を設置。淀屋橋駅発三条駅行の急行電車(5000系7両編成)がこれに乗り上げて、前部2両が脱線転覆した(民事訴訟の事実認定による)。

線路脇のケーブルトラフの蓋部分を外してレールに乗せた

1両目は線路脇の民家の庭先に突っ込み、2両目が横転大破した。乗客約1000名のうち104名が負傷したが、奇跡的に死者は出なかった。事故現場を撮影した方がwebで公開しているので、どのような状態だったかは、そちらをご覧いただきたい。

汽車転覆等致死罪は「死刑又は無期懲役」の処される重罪だ。有期刑の定めがない罪は性質の似た「航空機墜落等致死罪」「海賊行為致死罪」以外では、「人質殺害罪」と「内乱罪」くらいである(もっとも京阪の事案は少年犯罪なのでこれには当たらない)。

(往来危険)
第125条 鉄道若しくはその標識を損壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険を生じさせた者は、2年以上の有期懲役に処する

2 灯台若しくは浮標を損壊し、又はその他の方法により、艦船の往来の危険を生じさせた者も、前項と同様とする。

(汽車転覆等及び同致死)
第126条 現に人がいる汽車又は電車を転覆させ、又は破壊した者は、無期又は3年以上の懲役に処する。

2 現に人がいる艦船を転覆させ、沈没させ、又は破壊した者も、前項と同様とする。

3 前二項の罪を犯し、よって人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する

(往来危険による汽車転覆等)
第127条 第125条の罪を犯し、よって汽車若しくは電車を転覆させ、若しくは破壊し、又は艦船を転覆させ、沈没させ、若しくは破壊した者も、前条の例による

刑法第11章 往来を妨害する罪

京阪電鉄は少年と保護者に損害賠償を請求し、最終的に5人全員が1人あたり840万円の示談金を支払うことで示談・和解した。この事故で生じた京阪の損害は約4億円。うち1割を損害賠償、残り9割を保険でまかなったという。

置き石、ダメ、ゼッタイ!