大還暦を迎えた京急の駅名公募と味の素のうまくない話

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[1937-1945]戦時輸送の時代

先日公開された乗りものニュースの記事で、京急の都心乗り入れの歴史について取りあげました。

関東大手私鉄は戦前から終戦直後にかけて都心への乗り入れを目指してさまざまな計画を立てました。それは「赤い電車」がトレードマークの京急電鉄も例外ではありません...

無料公開されている部分に書いた通り、京急のルーツは今の大師線にあります。関東圏では初の電車で、川崎宿から川崎大師まで参詣客を運ぶ全長2kmの小さな路線として、1898年に開業しました。当時のライバルは人力車でした。

現在の京急大師線 京急川崎~小島新田間(今昔MAP (c)谷謙二)

なんせ120年前に開業した路線なので、今の大師線と一致しているのは川崎大師駅の位置くらいです。開業当時の「川崎駅」は今の京急川崎とは異なる駅で、後に六郷橋駅に改称の後、廃止されました。

線路も当初は大師道(国道409号)上を併用軌道で走っていましたが、しばらくして今のルートに移設されています。開業時から残る駅は川崎大師だけで、あとは全て後に新設された駅です。

というわけで、今年創立120周年を迎えた京急ですが、記念事業として沿線の小中学生から京急線の駅名変更案を募集するそうです。

今回、「大師線連続立体交差事業」により、駅と駅前広場が変わる「産業道路駅」の駅名を変更いたします。また、今後の沿線活性化の一助にするため、いただいたご意見を参考に、一層皆様に愛され、沿線の活性化に繋がると思われるものや、読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅等、「産業道路駅」以外にも数駅について変更を検討いたします。ただし、他社線との乗換え最寄り駅等については、募集対象であっても変更駅の対象外といたします。

京浜急行電鉄 9月18日プレスリリース

プレスリリースにある通り、発端となったのは大師線の「産業道路駅」です。鶴見線の「国道駅」もすごいですが、負けず劣らずインパクトの強い駅名です。

発祥の地、川崎大師よりも先にあるこの駅は、戦争末期の1944年6月、周辺の浜川崎工業地帯への工員輸送を増強するために、軍の要請によって開業しました。戦時体制によって生み出されたが故の安直かつ武骨な駅名なのですね。

そのため近年住宅化が進む周辺地域の住民からはたいそう不評な駅名のようで、旧地名由来の「大師河原」に変更してほしいという要望が寄せられていました。

品川と横浜、三浦半島を結ぶ京浜急行電鉄は今年2月で創立120周年を迎えた。同社発祥の路線、大師線は現在、多摩川の南側の京急川崎―小島新田間(4.5km)を走る。4両編成...

東洋経済にも取り上げられていましたが、京急は沿線のマンション開発に力を入れており、他の駅でも住宅地としてのイメージアップを狙って、一気に改名をしてしまおうという動きなわけです。

一斉に改名してしまえば個別の地元対策をしなくて済むし、子どもの意見ということで進めれば大っぴらに反対もできまいという魂胆が露骨で、能町みね子も「卑怯だ」と批判してました。

まぁここでは「住民参加や地元の合意は尊重するので、積み重ねられてきた歴史とかにも尊重してほしい」以上のことは書きませんが、一見つまらない普通の駅名でも、それなりに歴史や経緯があることは知ってもらった上で考えてほしいとは思います。

たとえば! 大師線にある鈴木町駅、非常に平凡でありがちな駅名に見えますが、元をたどると1928年に「味の素前駅」として開設された駅です。

味の素が発売されたのは1909年のこと。瞬く間に大ヒット商品となり、日本の食卓を変えたと言われます。味の素工場の前に設置されたことが駅名の由来ですが、当時の社名は鈴木商店(商社とは無関係)。社名ではなく商品名が駅名に採用されるのは非常に珍しいケースです(他にはエビスビールの恵比寿駅など)。

今も同じ場所に味の素の工場がある。今昔MAP(谷謙二)

しかし、庶民に愛された味の素にも戦争の暗い影が忍び寄ってきます。味の素はぜいたく品とみなされ、また原材料の輸入杜絶、電力統制や徴兵による労働力不足で生産は先細りとなっていき、その化学力を戦争に貢献するよう求められたのです。

ついに1943年5月、陸軍省の指示で社名を大日本化学工業社に変更することになり、工場設備は航空機の燃料添加剤や火薬類、アルミの原料などの生産に転用されました。

(参照「味の素グループの100年史」)

1944年10月には開業以来の駅名「味の素前」が、現在の駅名「鈴木町」に変更されました。化学工場の所在を示す駅名を防諜上の理由から変更したとも言われています。大日本化学工業社は戦後すぐに社名を「味の素」に変更しますが、駅名は鈴木町のまま現在に至ります。

駅名の「鈴木町」は工場周辺の地名に由来するのですが、これは味の素を生産・販売する鈴木商店の工場敷地のために、鈴木商店にちなんで付けられた地名です。鈴木商店とは創業者の鈴木三郎助に由来しているので、人名由来の駅名とも言うことができるでしょう。鈴木町は今も存在していますが、町内には味の素工場しか存在しないため、人口は0人です。

この鈴木町駅も、例の駅名公募の対象駅に含まれているのですが、ここで募集条件を振り返ってみると、次のように書いてあります。

募集条件

(1) 漢字、ひらがな、カタカナおよびアルファベットのみ使用可(併用可)
(2) 人名、企業名および団体名の使用不可

なるほど。当初駅名の「味の素前」も現駅名の「鈴木町」もどちらも条件(2)に抵触するというわけですが、それはあまりにも歴史に背を向けたような話ではありませんか(もっとも鈴木町は今更「人名」とは看做されないのでしょうが)。

どんなひどい名前になろうと「新駅名」は時間がたてば定着し、数十年後には戦争によって名付けられた産業道路駅や鈴木町駅と同様、時代の遺物として語り継がれるのかもしれません。

それでも京急電鉄が断固やるというのであれば、子どもを楯にするのではなく、批判に堂々と応える覚悟をもって進めてほしいものです。