論文の執筆に追われてしばらく更新が途絶えておりました。申し訳ありません。そうこうしているうちにいくつか興味深いニュースが流れてきました。
「スーパー台風」高潮で東京23区の3割浸水 都が想定 一週間以上水が引かない地域も
東京都は30日、過去最大規模の「スーパー台風」が上陸し、高潮が発生した場合に想定される浸水区域図を発表した。
東部を中心に23区の3分の1の面積にあたる約212平方キロメートルが浸水。堤防の決壊などで、広範囲にわたって1週間以上、水が引かない地域が発生すると予測している。都と各区は想定をもとに住民の具体的な避難方法などの検討を進める。
- これまでも200年に1度の集中豪雨によって荒川が氾濫すると都心が水没する危険があるとの想定が発表されていますが、今回はさらにスーパー台風の上陸による高潮でも都心が水没する可能性があるというのです。
- 高潮とは気圧と風の影響で水面が上昇する現象のことで、次のようなしくみで発生します。
1.気圧が下がると吸い上げられて海面が上がる
台風や低気圧の中心気圧は周辺より低いため、周囲の空気が海面を押し付け、中心付近の空気が海面を吸い上げるように作用し海面が上昇します。気圧が1ヘクトパスカル低くなると、海面は約1㎝上昇します。
2.強い風に吹き寄せられて海面が上がる
台風に伴う強い風が沖から海岸に向かって吹くと、海水は海岸に吹き寄せられ、海岸付近の海面が通常より高くなります。水深が深いほど、吹き寄せ作用が働き、高潮が発生しやすくなります。
出典:国土交通省港湾局「東京湾の大規模高潮浸水想定の概要」より
「でも1000年に1度のスーパー台風でしょう」と思われるかもしれませんが、東京でも100年前に高潮による大きな被害が発生していることをご存知でしょうか。東陽町駅近くの江東区役所の前には高さ6メートルほどの青い柱が立っていますが、これを拡大すると2枚目の写真ように書かれています。
これは「A.P.+4.21m 大正6年台風」の高潮被害でここまで浸水したよという記録です。
1917年9月30日に沼津付近に上陸した台風は上陸後も発達を続け、東京通過時は952ヘクトパスカルにまで成長していました。これは東京で観測された気圧としては現在も最低記録となっています。
この史上最強の台風が「一年で最も平均潮位の高い10月」の「潮位の上がる満月の日」の「満潮を迎える明け方」という最も悪条件が重なるタイミングで通過したため、海面は通常より2メートルほど上昇して高潮が住宅地に押し寄せました。
東京だけで死者・行方不明者数562人、家屋の全半壊・流出9822戸、床上床下浸水18万戸という大きな被害を出したこの水害は、被害地域では「大正六年の大津波」の名で伝えられています。
※「津波」という用語を高潮にあてはめるのは誤りですが、当記事では歴史用語として使用しています。
この時の浸水区域は江戸川区平井から千葉県の市川、中山まで及んだと言われており、今回発表された「最悪の想定」に近い規模の被害が発生しました。
浸水が想定されるエリアを地形図と重ねると、いわゆる「ゼロメートル地帯」と一致していることが分かります。この一帯は徳川家康が江戸に入って以降に、荒川の河口を埋め立て造成した土地で、さらに地下水のくみ上げと関東大震災の影響で地盤沈下が進み、東京湾の水面よりも標高が低くなってしまったのです。
再びこのエリアが水没してしまうと、当時はまだ存在していなかった地下鉄や地下トンネルを通って他の地域にも被害が及ぶと言われています。荒川堤防決壊による大規模水害を想定した浸水防止設備の整備も進んでいますが、いつこのような災害が起こるかも分かりませんので、私たちも日々意識しながら生活する必要があるでしょう。