なんで首都圏の鉄道には踏切が多いのか

運転

5日に発生した京急線踏切事故。事故後、一番早い「ダイヤモンドオンライン連載枠」で記事化したものの、わずか10日前の事故なのに、すっかり「過去の出来事」になってしまっている感が(台風15号の計画運休は臨時枠で書きましたが)。次に言及されるのは事故調の発表時だろうか。

というわけで、商業記事では触れなかったこぼれ話でも書きたいと思います。

東京の鉄道には踏切が多い

踏切というものは、鉄道にとって鬼門のような存在なのだが、正直なところ、筆者は踏切に疎い。なぜかと言えば、地下鉄には踏切がないからである。

少々、間の抜けた話に聞こえるかもしれないが、案外これは核心に近い問題だ。

国交省資料より(http://mlit.go.jp/common/001113242.pdf)

国土交通省の資料によると、東京23区の踏切は620か所(2014年度末時点)にものぼる。これは、人口は同規模で面積では倍以上になるニューヨーク(同 48か所)やロンドン(同 13か所)と比較して数十倍であるし、ベルリンやパリと比較しても、東京の踏切は桁違いに多い。

なぜこのような違いがあるかといえば、本来は踏切とは都市高速鉄道にはふさわしくないものであるからだ。誤解を恐れずに言えば、「世界に冠たる」はずの日本の都市高速鉄道網には問題点が多いということになる。

都市高速鉄道の誕生

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、都市部の交通機関は馬車鉄道や路面電車が主役であった。特に路面電車の普及は都市生活を一変させたが、人や車と同じ道路上を走る性質上、車体の大型化やスピードアップができず、増加する乗客に対応できなくなっていった。

そこで新たに、都市部の大量・高速輸送を担うために、道路と立体交差化した高架鉄道や地下鉄道が建設されることになった。これを都市高速鉄道という。

こうした問題意識は、実は19世紀末の日本にも伝わっている。明治東京の都市開発を主導した「市区改正委員会」は、東京市内の鉄道は高架線か地下線、あるいは築堤を利用して道路と立体交差するという基本方針を定めており、中央線の建設にあたっても、当初牛込橋(現在の飯田橋駅西口付近)付近に踏切を設置する計画があったのを全面的な立体交差構造に改めている。

これは東京が「鉄道のまち」になるきっかけを作った非常に画期的な決断であったが、当時の東京市は皇居を中心に半径5キロ程度(西は山手線の内側から東は錦糸町付近まで)に過ぎず、それよりも外側には適用されなかったのである。20世紀初頭には概ね現在の都市域が固まっていた欧米主要都市との最大の違いがここにある。

踏切事故を出来るだけ減らすために

大正前期までのどかな郊外だった山手線の外側は、関東大震災と前後して中央線や郊外私鉄の発展とともに東京都市圏に飲み込まれていき、踏切だらけの郊外路線が都市高速鉄道の一部に組み込まれていった。

現在では、東京都市圏は東京都を越えて、東京駅から半径40~50キロまで連続的に広がっており、踏切問題はさらに広範囲に広がっている。東京と横浜を結ぶ都市間鉄道として出発した京急電鉄はその一例である。

とはいえ、これは「歴史的経緯があるから仕方ない」と済ませるわけにはいかない問題だ。東京都心では、既に大正時代から踏切事故が問題化しはじめていたが、特に自動車が急激に普及した1960~70年代に、全国で列車の乗客が死傷する重大な踏切事故が発生したこともあり、踏切の統廃合や自動遮断機の設置、障害物検知装置など安全装置の設置が進められた。また、抜本的解決策として道路財源を活用した連続立体交差化事業も本格化した。

国交省資料より(http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_fr8_000027.html)

こうした努力の結果、踏切事故件数は1988年度の860件から、2000年度は468件、そして2017年度は248件と、大幅に減少していることは確かだ。

しかし、歩行者や車両の不便や危険のみならず、鉄道の乗客にも危険を及ぼしかねない踏切は、できる限り撤去することが望ましい設備であることは間違いない。

これは鉄道事業者単独では不可能だから、国や自治体、地域の理解と協力を得て長い時間をかけて改善を進めなくてはならない。そして、それまでの間は万全の踏切安全対策を行う必要がある。