【東京都市交通博物館 第3回】新時代のスタンダードを身にまとった木製電車―モハ1形

[1914-1926]都市交通のめばえ

もうすぐ日本で鉄道が開業してから150年を迎えようとしています。ここ10年で相次いで建設された鉄道の博物館に行くと、鉄道史を彩ってきた往年の名車たちに会うことができます。新幹線、蒸気機関車、ボンネット型特急!あー楽しかった。いや、ちょっと待ってください。今スルーした茶色い箱、一番身近な歴史ですよ!! それベンチじゃなくて展示車両なので飛び跳ねて遊ばないで!!

通勤電車も100年以上の歴史を積み重ねてきました。それどころか電車こそが都市生活者のライフスタイルを作ったといっても過言ではないのです。鉄道博物館に何度も行った方でも、もしかしたらスルーしていたかもしれない通勤電車の歴史、今度行く時はじっくりと見てみませんか?

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第3回 最終世代の木製電車 モハ1形(リニア・鉄道館)

今回紹介するのは、木製電車としては最後の世代にあたる、関東大震災以前の通勤電車の集大成的存在である「モハ1形」です。

これまで取り上げた二つの車両はJR東日本の鉄道博物館の展示品でしたが、このモハ1形は愛知県にあるJR東海が運営する「リニア・鉄道館」にあります。

保存されているモハ1035号は1922年に製造され、山手線や中央線で使用されました。1953年に静岡県の大井川鉄道に売却されて1970年に引退した後、貴重な鉄道省時代の電車ということで解体されずに保存されていたものを、JR東海が1994年に譲り受けました。

大井川鉄道時代に運転席増設、車両中央部のドア撤去、車体への鉄板貼り付けなどの改造を加えられていた車体を、宮大工の協力により車体外板を作り直すなどして1928年時点の姿に復元されました。

福原俊一『日本の電車物語 旧性能電車編』より

型  式 モハ1形(登場時 モハ33500形)
全  長 16.8m(定員104名)
車体構造 木製 ボギー車
集  電 架空単線式 直流600/1200V(パンタグラフ)
製造初年度 1921(大正10)年

モハ1形の新要素

モハ1形は前回紹介したナデ6110形と同じく木製の車両で、その違いは一見しただけでは分かりにくいかもしれません。しかし細部をよく見ると、二つの車両の間にある10年という時代の変化を反映したものとなっています。

最大の変化はドアの配置です。それまでの電車のドアは(現在でいうと新幹線や特急車両のように)デッキ部分に設置されており、乗客はデッキを通って客室に出入りしなければならないので、利用者が増えてくると乗降が長引いて電車の遅れの原因となっていました。そこでモハ1形ではデッキではなく直接客室に繋がるドアを設けたのです。

奥にデッキと客室を分ける引き戸が見える(ナデ6110形)

ロングシートの間のドアから直接出入りできる(モハ1形)

また2両・3両と連結した時に乗降口が等間隔になるように前後ドアの設置場所を中央寄りに移し、車端に乗務員用のドアを追加しました。それまでの車両では乗務員と旅客が同じドアを使用していましたが、乗客が増えて車内が混雑すると業務に支障が出るようになってきたため専用のドアを設けたのです。

同時代の車両としては、東武伊勢崎線の電化に合わせて1924年に製造された東武鉄道「デハ1形」が東武博物館に展示されています。この車両でもドアは客室に直結されていますが、その位置は車体の端にあり乗務員用の扉もありません。私鉄にはまだ本格的な大量輸送時代が及んでいなかったことが分かります。

モハ1形が走っていたころ

モハ1形が走ったのはちょうど関東大震災を挟んだ前後、東京が一番変わった時代です。1925年7月に上野・神田間が高架線でつながり山手線の環状運転が始まりました。山手線が内回り・外回り両ルートで郊外私鉄からの乗り換え客を都心へ送り込めるようになり、新宿・渋谷に続いて池袋のターミナル化が一気に進みます。市街地は山手線を越えて市外に広がっていき、鉄道利用者も急激に増えていきました。

京浜線(現京浜東北線東京・桜木町間)の運行状況を比較すると、速度だけでなく輸送力でも次第に現代に近づいていることが分かります。

1925年頃 2018年現在
編成両数 5両 10両
定  員 約500名 約1500名
所要時間
(東京・桜木町間)
45分
(平均41㎞/h)
40分(各停)
(平均46㎞/h)
最小運転間隔 6分 2分

1925年の時点で中央・山手・京浜の各路線とも5両編成での運行が行われていますが、下の編成両数の推移からも特に大正後半の5~6年で輸送力が飛躍的に増加していることが分かります。

この背景には技術面においても電車が大きく進化したことが挙げられます。1914年の運転開始からパンタグラフが採用されていた京浜線に続き、1919年には中央線、1920年には山手線でも旧態依然としたトロリーポールからパンタグラフへ切り替えされます。これによってポールを上げ下げする操作が不要になり、高速運転が可能になりました。

また連結器は機関車トーマスのようなねじ式から操作が簡易で安全な自動連結器への取り替えが進んだことで、4両・5両といった長編成での運行が可能になりました。

中央線 山手線 京浜線
パンタグラフ採用 1919(大正8)年 1920(大正9)年 1914(大正3)年
自動連結器化完了 1922(大正11)年 1922(大正11)年 1922(大正11)年

通勤電車のスタンダードを確立したことで、都市と電車は相互作用により共に加速度的にその規模を拡大させていくのです。

アクセス

リニア・鉄道館

所  在: 〒455-0848 愛知県名古屋市港区金城ふ頭3丁目2−2
開館時間:10:00~17:30(火曜定休日)
入場料金:(大人)1000円
最  寄:あおなみ線金城ふ頭駅