地下鉄御茶ノ水駅は本当は神田川を越えてJR御茶ノ水駅と一緒になりたかった、そんな片思いのはなし

[1946-1956]鉄道と戦災復興

先週末に久しぶりに御茶ノ水駅を外から眺めて、時の流れの速さを感じてきました。気が付けばホーム上に人工地盤が立ち上がっており、駅舎建築工事も本格化しはじめているようです。

そういえば御茶ノ水橋側の駅舎とバリアフリー設備は今年度中に供用開始なんでしたっけ。これからどんどん形になっていくことでしょう。

※御茶ノ水駅の改良工事の詳細が気になる方はtakuyaさんのブログをご覧ください

今日の本題は、ここからカメラを左に振って、茂みの中から顔を出している丸ノ内線の御茶ノ水駅です。こちらの御茶ノ水駅は一足早くエレベーターが設置されバリアフリー化していますが、この駅の最大のバリアは「神田川」です。

乗り換え距離でいえばJR御茶ノ水・千代田線新御茶ノ水とそんなに変わらないはずですが、長々と地上を渡って川の対岸に行くという行為そのものがバリア!!!

しかし、この川を隔てた二つの御茶ノ水駅、実は連絡通路で直結するための準備がしてあったのです。

御茶ノ水は重要な交通結節点ですから、丸ノ内線の建設計画においても当初は地下鉄御茶ノ水駅と国鉄御茶ノ水駅は直接連絡する前提で検討されました。ところが、神田川沿いのわずかなスペースに中央線・総武線の分岐と立体交差を詰め込んだアクロバティックな構造の国鉄御茶ノ水駅は、ホーム幅が非常に狭くいつも乗降客で混雑しているため工費・工期の両面で直結は難しいということで、やむなく現状の設計案が採用されました。

しかし、当時の技術陣はいつまでもこのままでいいとは思っていませんでした。建設史にはこのように続いています。

国鉄線との直通連絡は他日国鉄御茶ノ水駅の改良工事を施行するとき併せて行うこととして計画を変更し,国鉄線対岸湯島側の都電道路下に相対式乗降場の地下鉄御茶ノ水駅を設置したのである。このため駅の乗降場間は連絡地下通路を設け,将来この通路を延長し神田川を横断して国鉄駅との直接連絡ができるようにした

出典:丸ノ内線建設史(下)p.54-55 強調部は引用者による

将来国鉄御茶ノ水駅が抜本的に改良されて、駅に余裕が出来たら連絡通路を設置できるように、準備工事をしておいたというのです。建設史には図面も掲載されています。

右下の神田川にかかる手前に「横断通路及屋上排水管」とあるのが分かりますでしょうか。

丸ノ内線御茶ノ水駅は淡路町駅寄りに、線路をくぐる形で両側のホームを繋ぐ連絡階段があります。この地下連絡通路をそのまま延ばして中央線に繋げるというのです。そんな気配はあったかなと思い、さっそく現地を見てきました。

池袋方面行きホームの最後尾にある連絡階段を下りると地下連絡通路です。

右手側(写真の向き)の壁の向こうに神田川があります。構造的には特に変わらないように見えます。仮壁でもなさそうです。

というのも、通常なら地下鉄の連絡通路は地下に作るものですが、ここでは地上にあるからです。神田川を越えるというと、どうしても川の下をくぐるイメージが浮かぶかもしれませんが、この通路は神田川の上を渡る「地下通路」なのです。

本記事冒頭の写真で見たように、空母のアイランドのような駅舎(池袋方面)は地上にはみ出ていますね。

白い駅舎の中央部に窓が並んでいます。これが地下1階の改札口のあるフロアです。連絡通路はその更に一段下になり、この写真では見えにくいですが、水面よりはずっと上にあることが分かります。つまり、この通路は崖の中腹から伸びてきて、神田川の上空を渡り、川の反対岸の中央線のホーム下に繋がる構想だったのです。

1960年頃の航空写真に路線と駅を重ねるとこんな感じになります(今昔マップ on the webで作成)

とはいえ水面からそう高い位置でもないので、実際に作っていたら線路の神田川橋梁と同じような印象の橋になったと思われます。窓から水面が見えるようになっていたら地下鉄とは思えぬ光景でさぞ面白かったことでしょう。

しかしながら結局のところ国鉄・JRは御茶ノ水駅のホームを拡張する形の改良工事を断念し、現在工事を進めているようにホーム上に駅舎を増築する道を選択しました。それも丸ノ内線開業から50年が経過してやっと着手できた難工事だったわけです。そもそも国鉄側に丸ノ内線からの通路を受け入れる具体的なイメージがあったのかも分かりません。

乗り換えしやすい御茶ノ水駅を、せめて可能性だけでもと願った設計者の想いをかみしめて、今日も御茶ノ水橋を渡るとしましょう。