日本の鉄道はなぜ時間に正確なのか(3)―定時運行はどのように守られてきたか

[1914-1926]都市交通のめばえ

これまで2回にわたって「時間意識」の専門書を手掛かりに、日本の鉄道が時間に正確になっていった過程を追ってきました。

日本の鉄道はなぜ時間に正確なのか(1)―鉄道が形成した近代的時間意識

続いて紹介するのは専門書ではなく、経営・経済ライターの三戸祐子が日本の鉄道システムの成り立ちを丁寧に追ったルポルタージュ「定刻発車」です。この本は2001年2月に発行されると、第3回フジタ未来経営賞・第27回交通図書賞を受賞し、ベストセラーとなって文庫化もされたので一読された方も多いかもしれません。

本書は「電車が2~3分遅れるだけで腹を立てる日本人。なぜ私たちは”定刻発車”にこだわるのか」という問いから出発し、定時運行を運命づけられた日本の鉄道の成り立ちと、定時運行を実現するための巨大システムを作りあげた先人たち、そして守りぬく鉄道マンの姿を描き出します。

第1章から第3章では定時運行の成り立ちを、第4章から第10章ではどのように定時運行を実現しているかハード・ソフトの両面からシステムの裏側を探ります。最後の第11章と第12章は21世紀を迎えるにあたって人々の意識の変化や情報化社会の到来を見据えた上で、日本の鉄道がこれからも正確であり続けるか、正確であるべきかを論じています。

[Ⅰ 環境]
第1章 正確さの起源
第2章 定時運転の誕生と進化
第3章 鉄道が正確でなければ成り立たない都市

[Ⅱ 仕組み]
第4章 驚異の運転技術
第5章 攪乱要因との闘い
第6章 巨大システムのマジック
第7章 列車群の生態
第8章 よいダイヤは遅れない
第9章 「ダイヤの回復力」を設計する
第10章 システムの運転台

[Ⅲ 正確さを超えて]
第11章 日本の鉄道はこれからも正確か
第12章 成熟社会の夢

本書は2001年の出版ですから、もう17年も前の本になります。2001年から17年さかのぼると国鉄の分割民営化方針が固まってくる時期で、本書は現在につながる一つの時代の折り返し地点に位置していると言えるでしょう。2001年は無線通信を用いた新しい保安装置ATASCの本格的な開発が始まったり、IC乗車券Suicaや湘南新宿ラインなど新時代のサービスがスタートするなど、21世紀の第一歩にふさわしい記念すべき年でしたが、本書で描かれる「21世紀の未来像」はほとんどが現実のものとなりました。

情報に対する人々の間隔も変わってきている。携帯電話やコンピュータネットワークを自由自在に使い、知りたい情報がいつでも、どこからでも得られる環境に育っている世代にとっては、鉄道空間にしばしば起こる情報の空白状態は今まで以上に「苦痛」と感じられることだろう。

出典:本書[文庫版] p.315

 

熟練を要する指令員たちの代役のダイヤづくりをコンピュータに支援させることも考えている。「このようなダイヤの乱れが生じたときは、このような代役のダイヤを作るのはいかがでしょう」とコンピュータに運転整理案を出させるのだ。どうしようもない案を出されては指令員もかえって迷惑だろうが、たとえ部分的なものであろうと「おう、これはそこそこ使える!」と思えるような案を瞬時に出せるようになれば、言っておいたことなら、いつも几帳面にこなす部下を手に入れたようなもので、指令員たちも、もっと落ち着いた環境で仕事ができるようになる。

出典:本書[文庫版] p.344

 

旅のテンポも変わるはずだ。乗客は旅を思い立ったときに、携帯端末から一時間後の列車の予約を入れる。ついでに観光情報も仕入れ、宿泊の予約も入れておく。仮に列車の予約がその時に取れなくても、予約待ちを入れておく。するとしばらくして臨時列車の増発を決めた鉄道会社から、出発時刻と座席番号が知らされてくる。決済はカード。後は改札にカードや携帯端末をかざし、座って快適な旅をするだけ。

出典:本書[文庫版] p.362

というのも筆者の鉄道との関わりはJR関係者向けの業界紙「JRガゼット」を担当したことに始まっており、役員から駅員まで、あるいは先端研究所から作業現場まで、様々な取材を重ねてきたことが根底にあるからです。本書の内容が今なお色あせないのは単に著者の未来予想が的中したからではなく、当時の鉄道関係者の現状認識と課題意識を的確に受け止めて描き切ったからで、鉄道という巨大なシステムを歴史という縦軸と各専門分野という横軸、そして業界の内と外から横断的にかつ読みやすくまとめた本は他に例がないからです。

筆者の視点は未来に向いています。こうしたテーマを取り上げながら昨今の言説のように「日本スゴイ」で終わることなく、なぜそうしなければならなかったのか、それは今後も必要なのか、維持できるのかを問い続けています。出版から17年が経過し、その間に福知山線脱線事故や東日本大震災のような大きな転機もありましたが、そうであるからこそ筆者の問いかけは今も響いてくるように思います。

鐡道での時間を「自分の時間」と思えるようにすることは、ことによってはスピードアップよりも、定刻発着よりも、はるかに重要なことかもしれない。

社会が変われば、鉄道が変わる。そして鉄道が変われば、社会も変わる。いよいよ鉄道の世界でも、技術の都合に人間が合わせる時代から、人間の都合に技術が合わせる時代に移りはじめている。

(本書[文庫版] p.369)

 

運転の神様と呼ばれた結城弘毅

最後に本書の第2章でも取り上げられている、定時運行を確立するにあたって大きな役割を果たした「結城弘毅(ゆうきひろたけ)」のエピソードを紹介します。

前回の記事で取り上げたように、日本の鉄道は現有設備で最大の輸送力を発揮する為に否応なく定時運転を運命づけられますが、だからといってすぐにそれが実現した訳ではありません。定時運行を定着させるには、それなりの時間と、関係者の苦労があったのですが、その中でも特に大きな役割を果たしたと(半ば伝説的に)語られているのが結城です。

結城は1878年に札幌に生まれ、東京帝国大学工学科を卒業して山陽鉄道に入社しました。山陽鉄道とは現在のJR西日本山陽本線を建設した私鉄ですが、ほどなくして鉄道国有化政策により国に買収されたことで、結城はそのまま国有鉄道の技師に任ぜられました。

これを正確な着発にしたのは、結城弘毅であった。彼は長野へ行くと管内の列車が、20分も30分も遅れることが当然視されているのを見てこれを改善することを考えた。彼の受持区間は軽井沢・直江津間であったが、そんなことにかかわらず、機関手に運転の正確を命令し、秒の遅れさえ許さなかった。その実施方法は、機関手と一緒に研究した。機関手たちも、この青年技師の理想に双手を挙げて協力を約束し、この運動を日本中に広げようと誓った。

出典:「鉄道を育てたひとびと」『日本国有鉄道百年史通史編」

結城は長野に続いて名古屋、大阪、北海道と各地を転じて各地でこれを実行しました。結城が徹底したのは精神論ではなく綿密なマニュアル化によるノウハウの共有です。それまで運転士の勘と技量に任されていたのを、正確な時計を与え、沿線に細かい目印をたくさん設定し、その都度遅れていないかチェックさせました。誰でも同じように蒸気機関車の性能を引き出せるように、石炭のくべ方、炊き方、蒸気の上げ方にも基準を設け、徹底的に練習させたのです。

結城があまりにも定時運行を徹底するので、同僚から冗談まじりに「お前が鉄道に入ってきたので、俺は汽車に毎々乗り遅れて困る。このごろは日本の列車は時刻表通り発車するじゃあないか。あの列車は何分遅れるからと悠々と行くと時刻通り出てしまっていて不便で困るよ、あんまりきちんと出すなよ」と言われたというエピソードまであるほどです。


(超特急「つばめ号」に用いられたC53形蒸気機関車:出典

彼の功績は定時運行だけではありません。結城はその後鉄道省本省の運転課長を任され、東京・神戸間でそれまでの所要時間を2時間40分短縮する超特急「つばめ」を計画して実現させます。また鉄道省を退職したあとは南満州鉄道で「あじあ号」に関わるなど、日本の鉄道の高速化に大きな貢献を果たしました。

鉄道はシステム全体で動いています。ひと握りの優秀な運転士がいようと、超高性能な高速車両を製造しようと、それだけではダイヤは機能しません。全ての運転士が同じ技量を身に着け、各駅停車も貨物列車も全ての列車が時間通りに運行されて初めて超特急がダイヤ通りに走れます。高速列車とは冒険的挑戦ではなく徹底した規格化・マニュアル化によって実現されるのです。こうした地道な積み重ねは後に東海道新幹線として結実し、その精神は今も受け継がれています。