日本の鉄道はなぜ時間に正確なのか(2)―100年前に運命づけられた定時運行

[1903-1913]

日本の鉄道は遅れない、時間に正確だと言われています。日本の鉄道はいつから時間に正確になったのか、なぜ正確になったのか、そしてどのようにして定時運行を実現してきたのでしょうか。こうした疑問の解決の手がかりとなる書籍を紹介する記事の第二弾は、引き続き『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成(三元社,2001年)』から、第二の論文のおはなしです。

前回の記事はこちらから。

日本の鉄道はなぜ時間に正確なのか(1)―鉄道が形成した近代的時間意識

 

本当はちまちま定時輸送するより大きくて速い機関車を走らせたかった

第二章の竹村民郎「一九二〇年代における鉄道の時間革命―自動連結器取替に関連して」では、日清・日露戦争の軍事輸送により鉄道の輸送力増強が国家的命題になってから、1930年代に世界的に評価される定時輸送が実現するまでの間に行われた、1910年代から1920年代にかけての技術的革新を1925年7月の自動連結器一斉取り替えをクライマックスとして描き出しています。

日本の鉄道は、この過程で否応なく時間に正確であることを求められるようになったのです。


(1910年代後半から本格的な電車運転が始まる:筆者撮影)

本題については本書をご覧いただくとして、なぜ輸送力増強の要求が定時運行実現につながるのか、大まかな流れはこうです。

日本の鉄道で用いられる線路幅の規格は大きく分けて2つあります。JR在来線や多くの私鉄で用いられる1067㎜の「狭軌」と、新幹線と一部私鉄で用いられる1435㎜の「標準軌」です。標準軌はその名の通り欧米諸国で標準的に用いられている線路の規格です。

イギリスの技術支援を受けて誕生した日本の鉄道は、まだ国力が小さく地形も険しいので建設費を節約するために、標準軌よりも小ぶりな狭軌を採用してスタートしました。鉄道が本格的に普及して更なる輸送力が求められるようになると、それは大きな間違いだったのではないか、今からでも標準軌に変更するべきではないかという「改軌論争」が巻き起こります。

日清戦争(1894~95年)後,東海道鉄道の複線化が計画され,間もなく着工という段になると広軌改築論が議論されるようになり,1896年3月の第9回帝国議会には広軌採用を求める3件の建議案が可決され,4月には逓信省に軌制取調委員会が設置された。当初,広軌改築を主張していたのは,軍事上の観点から狭軌道の輸送力に疑問を呈していた軍部であったが,このころには東京商業会議所などの財界からも広軌改築が主張されるようになった。(中略)

輸送力の拡張には,車輛の増加,停車場の増置,複線の敷設なども考えられるが,これらの方法では「充分運搬力ヲ強大ナラシムルノ効果」をもたらすことができるかどうかという懸念がある。鉄道機関の「一大改良」をはかるためには,「現行狭軌道ノ制ヲ廃シテ広軌道ノ制ヲ採用スルノ得失如何」を検討しなければならない。なぜならば,「広軌道ハ狭軌道ニ比シテ列車ノ容量ト速度」において優れており,「貨物ノ運輸上大ニ時間ト費用トヲ節シ得ルノ利益」があるからである。

出典:老川慶喜(2014)「明治期の広軌改築論―井上勝と後藤新平―」『社会科学論集』(142)

足の間隔を少し広げて立つ方が安定してより重いものを受け止められるように、線路も幅の広い標準軌の方が速度を出しやすく、車両も大型化しやすいため、輸送力を増やしやすい利点があります。これは線路の幅だけが要因ではありませんが、イギリスでは19世紀末には既に平均速度100㎞を越える高速列車が運行されていたのに対し、日本は1906年に登場した「最急行」でさえも全線の平均速度は時速40㎞程度でした。高速走行試験ですら時速100㎞を出したことがないのですから、この際世界レベルの鉄道に刷新してやりなおそうという声が上がるのもやむを得ない話でした。

1910年に鉄道院は東海道本線・山陽本線などの主要路線を標準軌に改築する方針を決定しますが、地方の鉄道整備を優先すべきと主張する政友会の原敬(後の「平民宰相」)が鉄道院総裁に就任したため、改軌計画は中止になりました。

 

列車をたくさん走らせるためには定時運行するしかなかった

そんな論争を尻目に現実はどんどん先に進んでいきます。第一次世界大戦を経て日本の近代化・工業化は一層進み、輸送需要は旅客・貨物ともに爆発的に増大しますが、日本の鉄道は狭軌のまま運用と改良で輸送需要に対応することになりました。これが特殊と言われる日本の鉄道の姿を作りあげることになったのです。

簡単な模式図で説明しましょう。

まず輸送力300の狭軌の鉄道があるとします(1段目)。標準軌に改築して車両の搭載量を大きくし、また速度を上げることで運行本数を増やすことで輸送力の増加を見込めます(2段目)。しかしそれが叶わないので、狭軌のままそれ以上の輸送力を実現するためにはたくさんの列車を走らせるしかありません(3段目)。

しかし、高速道路の渋滞を思い浮かべてもらえば分かるように、交通量が増えればそれだけスピードは出しにくくなり、後続に遅れの影響が出やすくなります。1本走れなくなったら輸送力は500に減ってしまうので(4段目)、輸送力を維持するためには列車を遅延させてはならなくなってしまったのです。実際にはもっと複雑な関係で、加速度も最高速度も違う普通列車、特急列車、貨物列車が混在し、途中駅で追い抜いたり、接続したりしながら全体のネットワークを作りあげているわけですから、一つの列車の遅れが全体に影響してしまうのです。

それまでは駅と駅の間に1列車だけを走らせることで安全を確保していましたが、信号機を設置していくつかの区間に分けることで、駅間に複数の列車を走らせられるようになりました。列車の間隔を詰めるためには早く加速して、早く減速する必要があります。そのため出力の強い機関車を開発したり、列車本数の多い都市部では加減速に優れた電車を導入したり、新型のブレーキ装置を取り付けたり、スピードに耐えられるようい重く頑丈なレールを使用したり、ありとあらゆる技術のグレードアップがなされました。

「トーマス」の画像検索結果File:Mh eisenbahn schraubenkupplung.jpeg
(トーマスでおなじみのねじ式連結器はイギリス・ヨーロッパで今も使われている:出典

論文のテーマである「連結器の一斉交換」はこの一環で行われたものです。それまで使われていたねじ式連結器では、列車の連結、解放に非常に手間がかかるだけでなく、作業に大きな危険を伴うため毎年多くの死傷者が発生していました。そこでアメリカで用いられていた操作が容易で安全かつより重い車両を引っ張ることができる自動連結器への取り替えを決意し、1925年7月に10万個もの連結器を一斉に交換したのです。これにより日本の鉄道の輸送力が大きく向上するとともに、車両運用の効率化が一気に進みました。

このように1910年代から1920年代に取り入れられた様々な新技術が、現代に繋がる日本の鉄道の基礎を確立しました。そして1930年代に入る頃には「時間に遅れない日本の鉄道」という評価が少しずつ定着していくのです。鉄道先進国であるアメリカやイギリス、ヨーロッパで用いられていた技術を、必要に応じて取り入れ、組み合わせ、使いこなすことで、日本の環境にベストマッチした独自の鉄道システムを作りあげてきたのです。

このあたりのエピソード・解説は川辺謙一氏の新著でも触れられています。

書評『日本の鉄道は世界で戦えるか(川辺謙一)』

2回に分けて「時間」をテーマにした専門書から鉄道の定時運行が生まれた源流を紹介しました。次回は、もう少し手に入りやすく読みやすい本を紹介したいと思います。