もうすぐ日本で鉄道が開業してから150年を迎えようとしています。ここ10年で相次いで建設された鉄道の博物館に行くと、鉄道史を彩ってきた往年の名車たちに会うことができます。新幹線、蒸気機関車、ボンネット型特急!あー楽しかった。いや、ちょっと待ってください。今スルーした茶色い箱、一番身近な歴史ですよ!! それベンチじゃなくて展示車両なので飛び跳ねて遊ばないで!!
通勤電車も100年以上の歴史を積み重ねてきました。それどころか電車こそが都市生活者のライフスタイルを作ったといっても過言ではないのです。鉄道博物館に何度も行った方でも、もしかしたらスルーしていたかもしれない通勤電車の歴史、今度行く時はじっくりと見てみませんか?
第1回 通勤電車の始祖 デ963形(鉄道博物館)
今回紹介するのは、約110年前に中央線を走っていた、現存する日本最古の通勤電車です。
その車両は”てっぱく”の車両ステーション入口近くにひっそりと佇んでいます。周囲には鉄道開業時のイギリス製「1号機関車」や北海道で使われたアメリカ様式の特別客車など鉄道黎明期の花形車両が展示されており、それらの綺麗に保存・復元された姿と比較すると、色あせた茶色い箱は朽ち果てた小屋に見えるかもしれません。ところがこの「箱」は日本の電車の先祖ともいうべき、貴重な鉄道遺産なのです。
この車両はJR中央線の前身である甲武鉄道(甲斐国と武蔵国を結ぶから甲武)が1904年に製造したもので、1906年に甲武鉄道が国有化されると国有鉄道初の電車「デ963形」となりました。1915年に私鉄へ払下げされて1948年まで現役を務めた後、鉄道友の会と松本電気鉄道の手によって大事に保管されていたもので、鉄道博物館の開館を機に移設されました。
売却時に客車に改造されたため前面ガラスや運転席が撤去されて電車時代の面影は無くなっていますが、当時の写真や模型と比べると元の形が分かると思います。
型 式 | デ963形(国有鉄道時代) |
全 長 | 10.1m(定員32名) |
車体構造 | 木製 4輪車 |
集 電 | 架空複線式 直流600V(トロリーポール) |
製造初年度 | 1904(明治37)年 |
全長は10メートルで現在の車両1両の半分、定員は5分の1程度の小さな車両です。当時の電車はパンタグラフではなく、2本のトロリーポールで集電していました。1両で走る姿はまるで路面電車みたいですね。それもそのはず、当時はまだ電車イコール路面電車の時代だったのです。
デ963形に導入された新技術
日本における電車運転は1895年開業の京都電気鉄道から始まり、1899年には京急の前身である大師電気鉄道が開業、1903年には東京市内で路面電車が開業するなど日本各地に広がっていきますが、いずれも道路上を走る「軌道」であり、専用の線路を持つ「鉄道」に電車を走らせたのは甲武鉄道が日本で最初です。
今も残る数少ない同時代の電車、たとえば愛知県の明治村で動態保存されている京都電気鉄道N1型(1910年製造、開業当時の姿に復元)や、札幌市交通局が保存している旧名古屋電気鉄道1号形(1901年製造、1918年車体改装)と比べてみると、ダブルルーフの小型4輪客車の前後にデッキと運転台を付け足したスタイルが共通していることが分かります。ただし見た目は似ていますが中身はまるっきり別物で、デ963形は通勤電車の先祖と呼ばれるにふさわしい先進的なメカニズムを備えていました。
京都電気鉄道1型 | デ963形 | |
出 力 | 50馬力 | 90馬力 |
連結運転 | 不可 | 可 |
ブレーキ | 手動 | 空気圧 |
保安装置 | なし | 自動信号 |
路面電車(軌道)と鉄道の最大の違いは「速度」と「輸送力」です。道路を歩行者や車両と共有する路面電車は、安全のため小さくて短い車両を低速で運行します。一両あたりの定員が少ない分たくさんの電車が走りますが、スピードを出さないので信号がなくても運転士の直視だけで十分安全が保たれます。モーターもブレーキも大きなものは要りません。
一方の甲武鉄道は道路と隔たれた専用の線路を走るためスピードを出すことができます。高速運転と高頻度運転を両立させるには素早く加速と減速をしなければならないので、強力なモーターと空気圧を利用した強力なブレーキが導入されました。また速度があがると運転士の直視だけでは安全が確保できないので、電車運転にあわせて現在のものと基本原理は同じ自動信号機も設置されました。そして将来の輸送力増強を見越して、2両以上の連結運転を可能とする総括制御装置も備えていました。いずれも当時世界最大の電車先進国であったアメリカから取り入れた技術です。
デ963形の運行形態
中央線は甲武鉄道の時代は「市街線」と呼ばれていました。当時の鉄道はほとんどが市街地(路線図のグレーの部分)を避けて建設されましたが、中央線だけは外濠の構造を活用して道路と立体交差させることで市街地の中心近くまで乗り入れることができたのです。
鉄道省が出版した「省線電車史綱要」に当時の運転状況が詳しく書かれています。現在の数字と比較すると、ふたつの驚きが浮かび上がります。
1906年頃 | 2018年現在 | |
編成両数 | 1両 | 10両 |
定 員 | 約30名 | 約1500名 |
所要時間 (御茶ノ水・中野間) |
28分 (平均25㎞/h) |
22分(各停) (平均33㎞/h) |
最高速度 | 48km/h | 95km/h |
最小運転間隔 | 6分 | 2分 |
ひとつは「輸送力」のあまりの違いです、当時の小さい電車は定員30名程度で、現在の50分の1でしかありません。一方で「速度」はそう変わらないことに気づきます。最高速度こそ倍ほど違いますが、駅間の短い御茶ノ水・中野間においては所要時間は7分程度の差にしかなりません。運転間隔も最小6分とかなり便利な路線だったことが分かります。
中野や新宿から都心まで速く便利に移動できるインフラが整ったことで、その後中央線が住宅地として発達する下地となりました。同時に鉄道事業者も利用者も電車の便利さを認識することになり、その後山手線や東海道線(京浜線)が電化されていく、電車時代到来の下地にもなったのです。
アクセス
所 在:〒330-0852 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47
開館時間:10:00~18:00(火曜定休日)
入場料金:(大人)1000円 ※2018年7月5日から1300円に改定
最 寄:ニューシャトル鉄道博物館(大成)駅