鳥塚さん、その手法で「東京~札幌間の輸送はいつ鉄道から飛行機へ逆転したのか」を検証できますか?

運転

元いすみ鉄道社長の鳥塚亮氏がyahooに「東京-札幌間の輸送は、いつ鉄道から飛行機へ逆転したのかを検証してみると。」と題した記事を書かれています。

現実問題として、東京から札幌へ行く人のいったいどれだけの割合が「はやぶさ」から「スーパー北斗」に乗り継いで鉄道で行っているかというと、詳しい統計は出ていないようですが、函館ならともかく札幌となると、観光目的の途中下車を楽しみながら行くという需要を除くと、札幌を目的地とする場合はおそらくほぼ100%の皆さんが飛行機を利用しているのではないかと推測できます。

そこで、過去を振り返ってみて、いったいいつごろから人々は鉄道から飛行機へシフトしていったのか、筆者が所蔵する過去約50年分の時刻表の中から該当しそうな部分をひも解いて調べてみました。

って、さすがに双方の「本数」×「定員数」を比べてシェアの転換を論じるのは雑すぎやしませんか!? ってことで、先日ちょうど国会図書館に行ってデータを集めてきたところなので、ちゃんと数字で検証するとしましょう。

多分、鳥塚氏は「鉄道シェア」にかこつけて、古い時刻表を眺めたいだけだったと思うんですが、ちゃんと「はやぶさ」から「スーパー北斗」に乗り継いで鉄道で行く人の数を推定できるデータは存在します。それが「旅客地域流動調査」です。

人の大まかな流れを明らかにする調査

国土交通省の説明を借りれば、旅客地域流動調査とは鉄道・自動車・旅客船・定期航空の各輸送機関別に、国内における地域相互間の旅客の流動状況を明らかにする調査で、国や地方公共団体における輸送需要予測及び輸送施設整備計画立案等の基礎資料として提供されています。

輸送機関別といっても鉄道は国鉄(JR)と民鉄の区分だけ、航空は会社の区別なくひとまとめで、自宅から目的地ではなく交通機関の発地と着地を都道府県単位で記録しただけのものですから、首都圏の中をどのように移動しているかを調べるには適していません(そのような目的で行われる調査は別にあります)。ですが、長距離移動のほとんどは「新幹線」か「飛行機」なので、国鉄(JR)の数値は「新幹線と接続する列車を合理的に乗り継いでいる利用者」とみなせば、地域間の流動の傾向を把握するデータとして十分に使えます。

この数値を元に、東京都から各道府県に「国鉄(JR)」で移動した人と「航空機」で移動した人の比率を比較して、「鉄道」対「航空」のシェアを算出したいと思います。この数字の作り方はJR各社がマスコミ・投資家向けに制作するファクトシートに記載する「対航空機シェア」の算出方法と基本的には同じです。

ということで、1970(昭和45)年から5年刻みの「鉄道シェア」を算出しました。せっかくですので、北と西の主要都市を全部拾ってきちゃいましたよ。

(注)JR東海が公表している東海道新幹線のシェアは「首都圏対関西圏 85%」という書き方をしていますが、これは発地「東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城」と着地「大阪・兵庫・京都・奈良」を合計して算出したものです。○○を含めれば飛行機が有利、不利という話になると収拾がつかないので、今回のグラフは発地・着地は単体として比較しています。

いきなりですが、すいません。山陽新幹線全通前後の比較を目的に集めてきたデータなので1970年以降しかコピーしてきませんでした。対北海道は1970年の時点で既に航空機シェアが50%を超えているので「過去50年」では足りませんね。

とはいえ、この数字だけでも様々なことが見えてきます。東京~北海道で鉄道がまだ30%残っています。青函トンネルが開通する前ですから、これは青函連絡船の利用者を示しています。さすがにここから右肩下がりですが、青函トンネル開通(1988年)以前も5%ほどの根強い需要があったことが分かります(秋田と青森は新幹線到達前から航空機と戦えていますね)。

東京から札幌とほぼ同じ距離にある福岡も、1970年時点で50%のシェアを守っています。1975年の山陽新幹線博多開業で一度はシェアを伸ばしていますが、その後は転がるように落ちていきました。

国内線の進化と拡大

鉄道対航空を語る上で、欠かせないのは「いつから航空機が競合相手になったか」という視点です。もちろん、これは対象とする地域によって異なります(元航空業界の鳥塚氏に対しては釈迦に説法でしょうが)。

1970年以前にジェット機が運用できた空港は、三大都市圏の「羽田空港」「(旧)名古屋空港」「伊丹空港」に加えて、北海道と九州の「(旧)千歳空港」「福岡空港」「宮崎空港」「鹿児島空港」だけ。東京~千歳便にジェット旅客機「コンベア880」が就役したのは1961年のことでした。ちなみに旅客地域流動調査が始まったのは1965年なので「シェアの転換点」はそれ以前に起きている可能性もあります(今度国会図書館に行ったら1960年代のデータを見てみます)。このあたりこそ座席供給量の比較が活きてきそうですね。

国内線旅客数は過去3回大きく増加した時期があります。ひとつは1970年代、これは地方の主要空港がジェット化され、国内線にも大型ジェット機が投入されたことで、定員が増えて単価が落ち、航空機が身近な乗り物になった時期です。運輸省が「45-47体制」といわれる保護政策を取り、「JAL(国際線・国内幹線)」「ANA(国内幹線・国内ローカル線)」「JAS(国内ローカル線)」3社で住み分けながら業界を成長させていった時期です。経営悪化した国鉄が毎年のように値上げを繰り返したため、飛行機との運賃格差がどんどん縮まっていったのも大きく影響しました。

「45-47体制」は1981年1985年(4/20 16:12 ご指摘があったので修正しました)に廃止され、航空各社の競争(ダブルトラック化)が始まります。地方空港のジェット化がほぼ完了したところにバブル経済が到来し、多少お金を払っても速く移動したいというニーズが高まり、利用者が大きく伸びました。

そして90年代後半から2000年にかけて、規制緩和により航空運賃が自由化されたこと、また羽田空港の沖合移転が進み発着枠が大幅に増えたことで、新幹線に真っ向勝負の価格設定ができるようになります。先ほどのグラフを再掲しますが、東海道・山陽方面は2005年にかけて鉄道がシェアを大きく落としたことが分かります。2003年の「のぞみ主体」のダイヤ改正は航空機への反転攻勢だったというわけです。

航空業界はJRの反撃とイラク戦争勃発にともなう原油高やSARSの流行で停滞期に入り、2009年のリーマンショックとJALの経営破綻で大きく落ち込みました。2010年代から「LCC効果」で再び利用者数が上昇に転じていますが、他方で新幹線の利用者も増加し続けているので、シェアの奪い合いではなく、新たな需要を開拓していると見る事もできるかもしれません。

JR西日本ファクトシート2018より

「○○の壁」っての、これから禁止な

鉄道対航空機の50年を振り返ってみると、シェアが落ちた時期と回復した時期は必ずしも一致しません。地理的条件やマーケットとしての大きさ、あるいは古くからの利用者の意識も関係しているでしょう。それを一括りに「4時間の壁」などと議論するのは暴論というより、害悪でしかないと思っています(この点については鉄道ジャーナル7月号に寄稿しました。また以前このような記事も書きました)

【商業記事紹介】北海道新幹線が狙う高速化、飛行機とのシェア争いは新局面へ?

で、現在の新幹線対航空機の主戦場を見てみると以下のような構図です。

この表だけ見ると「○○の壁」と言いたくなる気持ちも分からないでもないですが、過去45年間の各区間のシェア推移をふまえれば、それは「普遍的法則」ではないことは理解していただけたと思います。

東京対道南の鉄道シェアは、青函トンネル開通直後の1990年頃までは何とか15%台を保っていたものの、2000年には4.4%まで低下しました。それを北海道新幹線の開業によって20%強まで取り戻したのですから、少なくとも「新幹線効果」は存在したのです。

東京~博多と、東京~札幌間は距離はほぼ同じですが、中間駅の都市人口が全く異なります。しかし、それは「東京~札幌」が「東京~博多」と同じ方法で勝負を挑む必要はないことを示しています。

といいますか、JRからすれば無理して「東京~博多」の利用者を取りにいかなくても「東京~新大阪」「新大阪~博多」というドル箱区間があるのですから、シェア7%を放置して当たり前です。

一方の「東京~札幌」はパイとしては十分に大きい(日本で一番利用者の多い航空路線)ですが、その列車に「東京~東北」「東北~札幌」を兼ねさせる必要はないわけです。むしろ、ここを混ぜてしまうと仙台に行く人で札幌行き速達列車が埋まってしまうなど、全体の効率を悪化させることにつながりかねません。

ということで、下記に引用した鳥塚氏の記事の「結論」についても、検証が不十分であるということを指摘しておきたいと思います。

実は、整備新幹線計画ができた時点で、すでに鉄道から飛行機へと時代は移り変わっていた。

これが時刻表を検証してみた結果判明した新幹線と飛行機の関係です。

ということは、東京から札幌へ向かう新幹線に求められるのは、鼻先をできるだけ長くして最高速度で一目散に地面を駆けることではなくて、本当はもっと別の部分ではないかと筆者は考えるのですが、鉄道会社の人たちは鉄道の仕事しかしたことがない人たちの集まりですから、当然のように今までの鉄道の延長線上で物事を考えているようです。

(追記)

こちらのブログで航空輸送統計と国鉄の鉄道統計の実績値データから東京~札幌・東京~博多を分析されていますね。実績値の比較で見る限り、対札幌で航空機と鉄道が逆転したのは1965年頃のようですね。旅客地域流動調査は輸送量を追跡する目的では使えないので、(より手間のかかる)実績値を積み上げた試算は貴重なデータです(お疲れ様です)。1965年の旅客地域流動調査のデータを入手したら改めて比較してみたいと思います。