【ポートフォリオ】地下鉄史関連

資金力なく技術者でもなかった実業家が、「地下鉄の父」と呼ばれるようになった理由
2022.3.21
私事で恐縮だが、15日放送のテレビ朝日「林修の今でしょ!講座」に解説役として出演した。そこで今回は早川徳次について、番組では省略または取り上げなかった部分に光をあてる「アナザーストーリー」をお届けしたい。
https://diamond.jp/articles/-/299551

【都市鉄道の歴史をたどる】夢と消えた「川崎縦貫高速鉄道」 迷走した路線計画の変遷をたどる
2021.10.27 プレミアム
川崎市が構想した「川崎縦貫高速鉄道」。大師河原から川崎駅を通り新百合ヶ丘駅までを結ぶ地下鉄として計画が始まりましたが、他社線への乗り入れ構想もあり、路線計画は二転三転。ついには計画自体が廃止となってしまいました。構想していた路線計画の変遷をたどっていきます。
https://trafficnews.jp/post/111632

東急グループ創始者が「渋谷~新橋間の地下鉄建設」に参画した理由
2021.9.13
87年前の1934年9月5日、現在の地下鉄銀座線渋谷~新橋間を建設した私鉄「東京高速鉄道」が設立された。この時、東京高速鉄道の経営に参画したのが東急グループの創始者として知られる五島慶太である。五島はなぜ東京高速鉄道に加わったのか。
https://diamond.jp/articles/-/281839

「帝都高速度交通営団」設立80年、戦争に翻弄された歴史とは
2021.8.2
今年7月4日は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の設立から80周年という節目であった。民営化され東京地下鉄(東京メトロ)となって17年が経過する中、少しずつ歴史の中に消えようとしている。
https://diamond.jp/articles/-/278256

【都市鉄道の歴史をたどる】帝都高速度交通営団設立80年 誕生から民営化までを振り返る
2021.05.15 プレミアム
東京メトロの前身、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設立してから2021年7月4日で80年。交通営団はどのような経緯で設立し、なぜ民営化に向けて動き始めたのでしょうか?
https://trafficnews.jp/post/107120

還暦を迎えた「東京メトロ日比谷線」、苦難と発展の歴史とは
2021.4.12
東京メトロ日比谷線は今年3月、1961年の開業から60年を迎えた。昨年6月には56年ぶりの新駅となる虎ノ門ヒルズ駅が開業するなど変わり続ける日比谷線の、これまでの歴史を振り返ってみたい。
https://diamond.jp/articles/-/267990

駅に空襲跡、地下鉄に刻まれた「戦争の記憶」
2021年3月7日
地下鉄銀座線の新橋駅に存在する「幻のホーム」。戦前にわずか8カ月しか使われなかったこのホームは、現在の銀座線を建設した2つの鉄道会社、東京地下鉄道と東京高速鉄道の地下鉄構想が衝突した結果生まれた「仮設の駅」と言われてきました。
本当にやむなく作った仮設駅だったのか――。鉄道ジャーナリスト、枝久保達也さんの著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』はこの「神話」誕生の経緯を解き明かすとともに、両社の対立が遠因となって成立した帝都高速度交通営団(営団地下鉄、東京メトロの前身)の戦時下の姿を描いています。
銀座線銀座駅では近年、リニューアル工事に伴って戦争中の空襲被害の跡が姿を現したことが話題となりました。1945年1月27日の「銀座空襲」と当時の地下鉄について、同書から一部を抜粋(一部再構成)してご紹介します。
https://toyokeizai.net/articles/-/415191

「地下鉄の父」と「強盗慶太」、戦時下の新橋駅を巡る争いの歴史とは
2021.2.26
帝都高速度交通営団が東京メトロに改組されて今年で17年。戦時体制下に営団が成立するまでの背景と戦中の営団の活動について、筆者が2月26日に出版する『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』から紹介する。
https://diamond.jp/articles/-/263740

快速より普通が混むことも 東京メトロ東西線はなぜ有数の混雑路線になったのか
2021.01.26
中野~西船橋間を、東京都心を突っ切るように走る東京メトロ東西線は、なぜ有数の混雑路線になったのでしょうか。路線の持つ性格は、開通直後とその後とで様変わりし、また現在も混雑緩和に向けた取り組みは継続中です。
https://trafficnews.jp/post/103921

都営初の地下鉄「都営浅草線」、開業日の始発が午後になった理由
2020.12.4
60年前の1960年12月4日、都営地下鉄浅草線(当時の呼称は都営地下鉄1号線)の押上~浅草橋間が開業した。浅草線は都営地下鉄として最初の、そして郊外私鉄と相互直通運転を行った初の地下鉄でもある。
https://diamond.jp/articles/-/256100

千葉県まで行く「都営」新宿線 “越境”した理由 京王線方面とは別に目指した地とは
2020.06.03
都営新宿線は、新宿~本八幡間を結ぶ東京都交通局の地下鉄です。しかし終点の本八幡駅は、千葉県市川市に位置します。「都」が運営する鉄道が、なぜ千葉県内に乗り入れているのでしょうか。路線建設の歴史を振り返ります。
https://trafficnews.jp/post/96772

東京メトロ丸ノ内線 なぜ「コ」の字型? 見方を変えると放射状 都心を目指した2路線
2020.04.22
東京の地下鉄路線図を眺めたとき、比較的新しい副都心線と大江戸線を除くと、丸ノ内線は歴史あるほかの路線のなかでも特徴的なコの字を描いています。これは路線名称に注目し、起点となる場所を変えて見ると理由が分かります。
https://trafficnews.jp/post/95674

まもなく見納め「銀座線渋谷駅」の謎 東急百貨店3階発着の地下鉄 その81年の歴史
2019.12.27
地下鉄銀座線の渋谷駅が明治通り上空に移設、リニューアルされます。これに伴い、現在の駅舎は81年の歴史に幕を下ろします。地下鉄ながら地上3階の商業ビルに入る不思議な光景も過去のものに。その歴史を振り返ります。
https://trafficnews.jp/post/92325

複雑な常磐線との二重区間 なぜ生まれたか 東京メトロ千代田線 輸送力増強の紆余曲折
2019.12.20
北千住~大手町間の開業から50年を迎えた東京メトロ千代田線。JR常磐線方面から都心部への通勤輸送の強化が図られるなか、東京で7番目の地下鉄として整備されましたが、常磐線との直通に際しては、紆余曲折がありました。
https://trafficnews.jp/post/91709

まるで門番?大手町駅の2体のマーキュリー像(知られざる鉄道史 14)
2019.09.30
マーキュリー像を巡る旅も、だんだんと終わりに近づいてきました。今回は、銀座線・丸ノ内線以外で唯一、マーキュリー像が置かれている東西線大手町駅をめぐるお話です。
https://danro.bar/12743561-2/

東京に「営団」「都営」の2大地下鉄が共存する、意外な歴史
2019.9.23
地下鉄銀座線が現在の運行形態になって80年。日本初の地下鉄が東京に誕生したのは、2つの世界大戦や関東大震災が勃発した、まさに混乱相次ぐ時代であった。そして当時を振り返ると、東京になぜ「営団」と「都営」という2つの鉄道事業者が存在するこ…
https://diamond.jp/articles/-/215419

上野に残る地下鉄開業の面影(知られざる鉄道史 13)
2019.09.07
1927年12月30日、浅草駅~上野駅間2.2キロの開業から始まった日本の地下鉄の歴史。
東京の北の玄関口上野駅と、当時最大の繁華街だった浅草を結ぶ地下鉄は、開業当初は通勤・通学・業務など日常の足というよりは、それ自体が非日常へといざなうアトラクションのような存在だったと言われています。
https://danro.bar/12677809-2/

【都市鉄道の歴史をたどる】新宿乗り入れの布石? 「西武の路面電車」
2018.11.24 プレミアム
都電のうち郊外にレールを伸ばしていた路線は、もともと民営だった路面電車を買収したものがあります。現在の東京メトロ丸ノ内線とほぼ同じルートで運行していた「西武の路面電車」の歴史をたどってみました。
https://trafficnews.jp/post/82156

引退した千代田線「6000系」どんな車両だったのか 地下鉄で一時代を築いた革新的車両
2018.11.17
東京メトロ千代田線を半世紀近く走り続けた電車「6000系」がついに引退しました。「地下鉄車両の一時代を築いた名車」といわれ、その後の地下鉄車両にも多大な影響を与えた6000系は、どのような車両だったのでしょうか。
https://trafficnews.jp/post/82090

都営大江戸線が環状運転にならなかったワケ 都庁前駅はオイルショックで誕生?
2018.10.18
都営大江戸線は環状部と放射部からなる地下鉄路線ですが、環状運転はしていません。ぐるぐる回る路線とはせず、都庁前駅で折り返しとなる現在のルートに決まるまでは、紆余曲折がありました。
https://trafficnews.jp/post/81685

【都市鉄道の歴史をたどる】戦前は五反田、戦後は新橋 京急「都心直通線」の変転
2018.10.06 プレミアム
関東大手私鉄は戦前から終戦直後にかけて都心への乗り入れを目指してさまざまな計画を立てました。それは「赤い電車」がトレードマークの京急電鉄も例外ではありません。さまざまな案が浮かんでは消え、現在の都営浅草線への直通に落ち着いた歴史をたどります。
https://trafficnews.jp/post/81642

【都市鉄道の歴史を探る】戦前に考えられた東京の「地下急行線」構想
2018.09.05 プレミアム
日本の地下鉄を走る列車の多くは各駅停車。途中駅を通過する急行列車は少数派です。しかし、戦前には急行列車専用の地下鉄路線を建設しようと提案した人がいました。
https://trafficnews.jp/post/81252

地下鉄発祥の地・浅草探訪(知られざる鉄道史 12)
2019.09.02
1927年12月30日、「東洋初の地下鉄」として開業したのが、現在の東京メトロ銀座線浅草~上野間です。いわば日本の地下鉄発祥の地にあたる浅草駅にも「マーキュリー像」が設置されています。
https://danro.bar/12663722-2/

【都市鉄道の歴史を探る】地下鉄車両の「顔」 東京地下鉄道から営団、メトロまで
2018.08.30 プレミアム
日本初の地下鉄として東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線・上野~浅草間)が開業してから90年。そこを走る鉄道車両も何度か代替わりしました。東京メトロの地下鉄各線に導入された鉄道車両の先頭部デザインはどのように変わったのか、その流れを見てみます。
https://trafficnews.jp/post/81196

池袋駅に幻のホーム~地下鉄「マーキュリー像」物語(知られざる鉄道史 11)
2019.07.15
前回の記事では、1951年に新時代の地下鉄のシンボルとして登場した「マーキュリー像」の生い立ちを紹介しました。マーキュリー像は銀座線銀座駅に続いて、同じく出入口の改修工事を行った銀座線日本橋駅と、戦後初の地下鉄新線として開業した丸ノ内線池袋駅にも設置され、その後は3駅の像の一部を浅草駅、上野駅、大手町駅などに移設しました。現在は6駅と東京メトロの3施設に設置されています。
https://danro.bar/12540752-2/

銀座駅を襲った空襲~地下鉄「マーキュリー像」物語(知られざる鉄道史 10)
2019.07.07
東京メトロ銀座駅の改札付近で、行き交う人々を見守る「マーキュリー像」に気付いたことはあるでしょうか。英語では「マーキュリー」、ラテン語で言うところの「メルクリウス」はローマ神話における12の最高神のひとりです。
https://danro.bar/12513940-2/

東京メトロと都営、なぜ共存? 東京都心を走る地下鉄、一元化はあるのか
2019.05.14
東京都心は東京メトロと都営地下鉄のふたつの地下鉄が走っていますが、運賃をはじめとしたサービスは別々です。ふたつの事業者が共存する状況になったのには、地下鉄建設を巡る主導権争いがありました。
https://trafficnews.jp/post/85070

都営大江戸線の車両、なぜ狭い? 「普通サイズ」で計画されるも、小型化したワケ
2019.03.28
都営大江戸線の車両は、ほかの一般的な地下鉄車両と比べて小型です。当初は「普通サイズ」で計画されていましたが、結果は、トンネルの断面積が半分の「小型地下鉄」に。どのような紆余曲折があったのでしょうか。
https://trafficnews.jp/post/84115

東京メトロ銀座駅に姿を現した「戦跡」 空襲で破壊されたトンネルをどう復旧したのか
2019.01.23
リニューアル工事が進む東京メトロ銀座線の銀座駅ホームで、太平洋戦争時に受けた爆撃の「痕跡」が姿を現しました。被害が生じた部分はホームから見ることが可能。ただし、今後ずっと見られるかどうかは分かりません。
https://trafficnews.jp/post/82704

東京メトロ銀座線、最初は直通運転しなかった理由 新橋「幻のホーム」との深い関わり
2019.01.16
東京メトロ銀座線は全線開業後、直通運転がしばらく行われていませんでした。1本の線路でつながったのに、なぜ直通しなかったのでしょうか。
https://trafficnews.jp/post/82616

【都市鉄道の歴史を探る】スペーシアとロマンスカーが並んだ? 東武の都心直通構想
2018.09.26 プレミアム
東武鉄道は東京都内でも有数の観光地・浅草にターミナルを設けていますが、あまり長い編成が入れないという問題を抱えています。しかし、創業時の東武は別の場所にターミナルを設け、都心に直通するつもりでした。
https://trafficnews.jp/post/81540

有楽町駅、銀座駅も爆撃…それでも運行を止めなかった戦時中の鉄道
2018.8.15
第二次世界大戦末期、東京も空襲の標的となった。都心を標的とした初めての空襲では、有楽町駅や地下鉄銀座駅で大勢の死傷者が出た。時代の最先端を行くオシャレな街として栄えた銀座が爆撃される光景を、人々は現実感もないまま呆然と見上げていた…
https://diamond.jp/articles/-/177152