90年前の銀座線で使われていた日本最古の”自動改札機”は「子ども無料」だった!

[1927-1936]都市交通の立体化

昨年12月にリニューアル工事が完成した東京メトロ銀座線上野駅の改札口に、古めかしい「木製の装置」が展示されているのをご存知ですか。

実はこれ、1927年に開業した日本初の地下鉄銀座線で使われていた、日本初の「自動改札機」(のレプリカ)なのです。

自動改札機というと、その両脇に並んでいるきっぷやICカードを読み取ったりする機械がおなじみですね。現在につながる、きっぷの磁気を読み取る形式の自動改札機は1967年に初めて実用化され、まず関西圏で普及し、1990年代に入って関東圏でも一般化しました。

自動改札機の歴史は、立石電機(現オムロン)が1964(昭和39)年に近畿日本鉄道と共同開発に着手したことに始まる。

実用化された自動改札機は、千里ニュータウンの通勤対策と、1970(昭和45)年に開催された大阪万国博覧会の大量鉄道輸送対策として、1967(昭和42)年に京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)千里線の終着駅「北千里」に乗車券販売機、定期券穿孔機、紙幣両替機と共に試行設置された。これが世界初の自動改札システムである。

出典:日本機械学会 機械遺産 第43号「自動改札機

この自動改札機は、オムロンが研究に着手するより40年ほど前に使われていた「ターンスタイル」と呼ばれるアナログ式の装置です。

どうやって利用するかというと、右側に付いている箱のようなものに運賃の10銭白銅貨を直接投入し、十字のバーを押して回して入るのです。硬貨を入れなかったり、10銭硬貨ではなかったりするとバーが回らず、入場できません。

利用者が慣れていれば1分あたり35人程度の処理能力がありましたが、開業当初は見たことない機械に乗客が戸惑って、どこにお金を入れればいいか分からず立ち往生したり、自動的に回ると思ってバーを押さないで待っていたり、改札の前に来てからようやく財布を開けて小銭を探したりと、1分間に10人程度しか入場できずに大混乱したというエピソードがあります。ちなみに現在の自動改札機でも1分あたり60人程度の処理能力なので、当時としては十分な性能といえますね。

当時の10銭硬貨 画像「文鉄・お札とコインの資料館」より

自動改札機を導入した目的は経営の合理化、つまり社員数の削減です。きっぷを発行せずに運賃をそのまま徴収できるので、きっぷ売り場を置かなくて済み(まだ自動券売機などというものはありません)、改札口で乗車券をチェックしたり回収したりする駅員が必要なくなります。

この自動改札機はアメリカのG.E(ゼネラルエレクトリック)製で開業時に11台購入した記録があります。1台あたり1,000円でした(当時コーヒー1杯10銭)。仮に1台当たり3人の駅員を削減できるとすると、1,000円の投資で年間100円(大卒初任給が50円なので現場の駅員だと30円くらい?)の削減になります。10年使えば元が取れる計算ですね。

ちなみに当時の東京の交通機関の運賃はこんな感じでした。

地下鉄 10銭均一
市 電 7銭均一
バ ス 初乗り5銭

地下鉄といっても上野と浅草の2㎞ちょっとを往復するだけのアトラクションみたいなものですから、市内のどこへでも行ける路面電車と比較して、ものすごく高い乗り物だったと言えるでしょう。

下の写真は開業から3か月後の上野駅の改札口(冒頭の写真と同じ改札を内側から撮ったものです)です。今と同じように自動改札機が横に並んで設置されています。

一番手前と一番奥の(駅員が座っている)通路は、ターンスタイルではなく「パッシメーター」と呼ばれる別の機械で、駅員がレバーを踏むとバーが回転して入場できる仕組みです。ターンスタイルに投入できるのはコインだけ、しかも1種類しかを識別できないという大きな弱点があったので、回数券や団体客、優待乗車証利用者などを駅員がチェックして通す有人通路も置かなければならなかったのです。

さらにコインを1種類しか投入できないということは、子ども料金を設定することもできません。これにちては、東京地下鉄道は子ども料金を設定しないという思い切った手を打ち、ターンスタイルの下を通れる子供は無賃、頭がバーに当たるようになったら大人扱いとして運賃を収受する規則としました。

その後は一般的な有人改札となった 写真:開業時(1934年)の銀座駅

経営戦略上も技術的にも非常に先進的な試みといえるターンスタイル式自動改札機でしたが、開業から3年もしないうちに撤去されてしまいます。

というのも最初は物珍しさから「アトラクション」感覚で乗客が殺到しましたが、路線が短く実用性に乏しいことと、競合する市電やバスと比べてあまりに運賃が高いことから、徐々に乗客が減ってきてしまったのです。1931年9月16日に運賃制度を10銭均一から5銭・10銭の区間制に改め、ターンスタイルは早くも引退となりました。

ほんのわずかな期間しか使われなかったターンスタイルが、なぜ90年たった今でも語り継がれているのか。それは当時の人々にとって自動改札機が「次世代の交通機関である地下鉄」を体現する存在だったからでしょう。少女の楽しそうな顔を見てください。後ろで必死に小銭を探すお父さんといい、驚きの表情で改札を眺める親子といい、地下鉄への憧れと驚きに満ち溢れているではありませんか。

ちなみに、地下鉄博物館に行くと実際にコインを入れてバーを回す体験をすることができますよ(こちらもレプリカです)!