【3日目東S15b 第2版発行記念】城東電気軌道百年史の紹介(2)

[1903-1913]

2018年8月のコミックマーケットにて「城東電気軌道百年史 第2版」を発行するにあたり、より多くの方に手に取っていただけるよう、内容の前半をまとめたサマリー版を用意した。なお、本稿は「百年史」の論旨を紹介するために書下ろしたものであり、本書では予備知識の無い方でも分かりやすいように、登場人物や時代ごとの背景についても図表をふんだんに用い、逐次注を添えて丁寧に解説してある。本稿の内容に少しでも興味を持っていただけたら、是非手に取っていただければ幸いだ。

コミックマーケット94(2018年8月12日)日曜日 東S15b「Happiness Factory」にて頒布(1500円)
※サークルカットで予告していた新刊は出せませんでした。すみません。既刊のみの参加です。

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3.千葉胤義の路線構想

城東電気軌道の地元沿線発起人たちが新たな主導者として招聘したのが千葉胤義である。千葉は1910(明治43)年に大分県の大分・別府に豊州瓦斯を設立,1912(明治45)年には地元宮城県に東北電気,遠田電気を設立するなど,国内外各地で主に電気・ガス事業に携わった実業家だ。彼は同時期に東京府南葛飾郡に江戸川電気という電灯会社を設立しており,この会社の活動を通じて城東電気軌道に参画している。

3-1.江戸川電気経営陣の城東電気軌道への接近

江戸川電気は1911 (明治44)年9月21日に出願された,資本金8万円の小規模な電灯会社であり,「電気事業経営申請書」によると,南葛飾郡葛西村に出力75キロワットの瓦斯力発電所を設置し,東京府南葛飾郡葛西村,船堀村,瑞穂村への電力供給を計画していた。

同社の発起人には,大倉組取締役大倉發身と大倉組営業部長山田馬次郎が参加している。千葉の交友関係に触れた評伝はほとんど残されていないが,没後「朝鮮公論」に寄せられた追悼文には「千葉氏の才幹は奇才といふ風格があり,高橋是清子,大倉喜八郎男からも愛され,現にその知遇を受けて,数度欧米に漫遊し,年歯僅かに三十有四にして東京に電気ガス会社を創立して重役となった」とあることからも,千葉は大倉組の支援を受けた実業家であったことがうかがえる。

江戸川電気の事業経営申請は1911(明治44)年11月14日に認可され,1912(明治45)年4月24日に会社を創立し,下記の役員を選定した。

専務取締役 千葉胤義
取締役 三井助作,三沢信一,大塚喜一郎,福田源兵衛,倉山昌親
監査役 山田馬次郎,長谷川吉次,細野直太朗
相談役 川野濱吉,加山安衛

城東電気軌道の地元沿線発起人である瑞穂村長大塚喜一郎と小松川村長川野濱吉は,江戸川電気の発起人には名前がなかったが,創立時から経営に加わった。本多貞次郎が発起人を辞退する3か月前に,次の主導者である千葉胤義と密接な関係を構築していたことが分かる。

一方,江戸川電気の発起人及び役員からは,千葉胤義,橋本梅太郎,山田馬次郎,三井助作,福田源兵衛が本多と入れ替わりで城東電気軌道の発起人に加盟しており,1912(明治45)年4月から7月の間に,城東電気軌道と江戸川電気の一体化も一気に進んでいる。

城東電気軌道は出願時点においては電灯電力供給事業を計画しておらず,起業目論見書には自社蒸気力(火力)発電所の75キロワット発電機から電車用電力を供給するとしていた。江戸川電気は城東電気軌道との一体的な経営によって,電気鉄道という大口需要先の獲得と,沿線における電気供給の展開に大きな期待を寄せていた。

本多貞次郎の経営する京成電気軌道も1910(明治43)年6月に電灯事業の兼営許可を得て,1911(明治44)年7月から電気の供給を開始しているが,供給区域は千葉県東葛飾郡が中心で,東京府内は事業区域に含まれていなかった。城東・江戸川地域において電気鉄道と共に電灯事業の早期実現を待望していた地元沿線発起人と,京成電気軌道の競合となりかねない電灯会社の台頭を嫌った本多の間に対立が生じた可能性もあるだろう。

3-2.発起人追加と延長線構想

千葉は城東電気軌道に参画すると同時に、新線の特許申請を出願している。

1912(明治45)年7月25日に出願された上今井~浦安間の延長線(以下第1延長線)と,同28日に出願された浦安・小松川間(以下小松川循環線)及び南行徳・松戸間の延長線(以下松戸延長線とし,総称を第2延長線とする)である。

7月28日には発起人の加盟が届け出されており,千葉胤義ら江戸川電気関係者と共に,東京府南葛飾郡と千葉県東葛飾郡に在住する計29名が新たに加盟した(以下第一次追加発起人と称す)。船堀,葛西,浦安,南行徳,行徳など追加発起人たちの居住地は,延長線出願による城東電気軌道の沿線域の拡大を示している。

1912(大正元)年8月21日に日本橋で第1回発起人総会が開催され,城東電気軌道は創立に向けた第一歩を踏み出した。総会の様子を翌日の朝日新聞は「伯爵廣澤金次郎,千葉胤義,橋本梅太郎外数氏の発起計画に係る」「資本金百万円の城東電気軌道株式会社」として伝えており,後に初代社長を務める伯爵廣澤金次郎と並んで千葉と橋本の名前が記されていることからも,彼らの主導により計画が進めていたことがうかがえる。また延長線建設費を含めたことで,資本金は当初の30万円から100万円に増額されることになった。

閉店した伊勢丹松戸店の近くに私鉄のターミナルが置かれていたかもしれないというはなし

(5日連続更新です。次回は8月1日公開)