【新橋駅幻のホームの謎を追え!】第1回 幻のホームはどのように語られてきたか

[1927-1936]都市交通の立体化

※このページは「小久保せまきのはてな分室」において2011年6月に公開した記事を、再編集・加筆修正の上で移設したものです。

幻のホーム特集記事が本になりました! 本文はほとんど書き直して、図表も足して、さらに分かりやすく。ぜひご覧ください。

【夏コミ新刊情報】「虚実の境界壁 -新橋駅幻のホーム誕生史-」

銀座線とふたつの新橋駅

日本でもっとも古い地下鉄は東京メトロ銀座線です。銀座線は1927年(昭和2年)に上野~浅草間で開業し、1939年に浅草~渋谷間を全通しています。この「銀座線」もともとは1本の路線ではありませんでした。

浅草~新橋間を建設したのが、後に地下鉄の父と呼ばれることになる早川徳次(はやかわのりつぐ)が設立した「東京地下鉄道株式会社」で、一方の新橋~渋谷間を建設したのが、東急グループの創始者である五島慶太(ごとうけいた)が設立した「東京高速鉄道」でした。両社の路線が繋がってできたのが後の銀座線です。そして二つの路線が顔を突き付け合ったのが新橋駅でした。

銀座線新橋駅に眠る「幻のホーム」の存在は、映画やアニメの舞台として使われたり、テレビやイベントでもたびたび紹介されているので、鉄道ファンのみならず多くの方に知られています。幻のホームには駅の会議室や倉庫が設置されていたり、新橋駅リニューアル工事の資材ヤードとしても使われるなど、現役も業務用施設として使われています。

銀座線リニューアル公式サイトss=”mt-image-none” src=”http://www.tokyometro.jp/ginza/images/article_img_17031501_03.jpg” alt=”” width=”600″ height=”209″ /> 幻のホームの現状(東京メトロより引用)[/captio

しかし、どうして新橋駅に幻のホームができたのか、幻のホームとは何だったのかということは、あまり知られていません。

幻のホームはどのように語られてきたか

幻のホームに言及している書籍、webページについて、主なものを引用してみましょう。

まずは、営団地下鉄が民営化する際に発行した公式の社史「帝都高速度交通営団史」からの引用です。幻のホームができたのは営団が設立される以前の話なので「営団前史」として語られています。

東京高速鉄道が新橋に到達した昭和14年1月、東京地下鉄道との間で接続方法について激しい意見の対立があった。このため、両者は同じ新橋で別々に二つの駅を営業する事態となる。その後話し合いがついて、渋谷・浅草間の直通運転が実現したのは、同年9月のことであった。

出典:『帝都高速度交通営団史』p.26~27

つづいて、新橋駅幻のホームを軸にして東京の地下鉄誕生を描いた中村健治氏の「メトロ誕生」です。

1935(昭和10)年10月、超難関のルートである虎ノ門~新橋間を皮切りに、渋谷~新橋間の工事に着手する。(略)しかし、東京地下鉄道の終端駅・新橋に設置されていた直立壁を、徳次は撤去を了解する気配を見せない。慶太は会社を挙げて、撤去の手続きの開始を強く申し入れた。(略)徳次は、ずっと以前からの計画である浅草~新橋~品川間の路線が具体化するまで、直通工事を引き延ばす作戦に出た。(略)

「やむを得ない。東京地下鉄道の新橋駅の壁の裏側(虎ノ門寄り)に、我が社で別のホーム(駅)を造るしかない」慶太は、東京地下鉄道の駅とコンクリートの壁ひとつ隔てた手前に、東京高速鉄道の専用の新橋駅を新設して、ひとまず折り返し運転で我慢することにするのだ。

「もう一つの新橋駅」の誕生である。

出典:中村建治『メトロ誕生』p.173~175

次は「Wikipedia」を見てみましょう。

1939年(昭和14年)1月15日、東京高速鉄道は虎ノ門駅から新橋駅への延伸を果たすが、東京地下鉄道側は直通の準備ができていないことを理由に自社駅への乗り入れを拒否したため、東京高速鉄道は独自に建設していた折り返しホームを利用することになり、東京地下鉄道の駅への乗り入れが実現する9月までの8か月間は、2つの新橋駅が壁を隔てて対峙することになった。

出典:wikipedia -『東京高速鉄道』 より(H30.4.26参照)

最後に元東京都知事で近代史に関する著書でも有名な猪瀬直樹氏の、東京都副知事時代のコラム「眼からウロコ(日経BPweb版)」からの引用です。猪瀬氏は当時、自身の提唱する「地下鉄一元化」問題に絡めて、しばしば幻のホームに言及していました。記者団を引き連れて現地視察をしたこともあり、以下の記事はその際のものです。

新橋駅の「幻のホーム」は戦前の利用者無視の“遺跡”だ

現在の東京メトロ銀座線(浅草・渋谷間)は、1927~34年にかけて開業した東京地下鉄道(浅草・新橋間)と、1938~39年にかけて開業した東京高速鉄道(新橋・渋谷間)が一元化された路線だ。東京高速鉄道を経営する五島慶太と、東京地下鉄道を経営する早川徳次はライバル関係にあった。対立する両者は壁一枚隔てた別々のホームで新橋駅を営業したため、乗り継ぎ客は不便を強いられた。

しかし、1941年に帝都高速度交通営団が誕生、地下鉄は一元化された。新橋駅は東京地下鉄道のホームに統一。こうして、東京高速鉄道のホームが「幻のホーム」として残った。東京の地下に眠る都市の“遺跡”である。

出典:『「幻のホーム」と「分断されたホーム」』2010年6月22日号(公開終了)

こうやって見てくると、一つのストーリーが見えてきます。

・東京地下鉄道と東京高速鉄道は対立していた。
・対立する両社は新橋駅の「壁」を挟んで対峙した。
・東京高速鉄道はやむを得ず仮の新橋駅で開業することになった。

ところが、新橋駅幻のホームの位置関係は下図のようになります。現在の銀座線新橋駅のコンコース階の通路奥に幻のホームは眠っています。

「壁」が二つの新橋駅を隔てていたとすると、地下2階から1階にかけて地下に壁がそびえ立っていたのでしょうか。仕方なく別の新橋駅を用意したのだとしたら、どうして違う階層に作ったのでしょうか。

見れば見るほど分からないことだらけです。幻のホームとはなんだったのか、それを解き明かしていくには東京の都市交通の歴史を丁寧に追っていかなければなりません。

2回に続く