大阪メトロと東京メトロの名前に宿る地下鉄100年の歴史

画像:THE PAGE大阪
[1927-1936]都市交通の立体化

今日(あ、昨日になってしまいました)から大阪市交通局が民営化し「大阪メトロ(正式にはOsaka Metro)」と「大阪シティバス」が発足しました。日本初の公営路面電車として開業した大阪市電から115年、日本初の公営地下鉄として大阪市営地下鉄が開業してから85年の歴史に幕を閉じることになりました。

 大阪市営地下鉄が1日から民営化され、新会社「Osaka(オオサカ)Metro(メトロ)」(大阪メトロ)が誕生した。公営地下鉄の民営化は全国で初めてだ。1日早朝に御堂筋線なかもず駅で出発式が開かれ、始発電車が出発した。

 大阪市営地下鉄は1933年に全国初の公営地下鉄として梅田―心斎橋間で開業した。9路線133駅の地下鉄とニュートラムを新会社が引き継いだ。

大阪市営地下鉄の2016年度の輸送人員は年間9億人で、関西大手私鉄5社をいずれも上回る。営業収益は1584億8千万円で私鉄5社で最高の近鉄と肩を並べる。株式は大阪市が100%保有する。

出典:朝日新聞デジタル(2018年4月1日 最終更新 15時48分)

今後は「市営地下鉄」に代わって「大阪メトロ」と呼ばれることになりますが、あくまでも正式な社名は「大阪市電気高速電気軌道株式会社」です。愛称が「JR(東日本)」社名が「東日本旅客鉄道株式会社」、愛称が「東京メトロ」で社名が「東京地下鉄株式会社」というのと同じ関係です。

「大阪メトロ」という愛称には、東京メトロへの対抗心というか、強い意識を感じますが、一方で正式な社名の方は随分響きが異なります。特に「高速電気軌道」という用語は一般には全くなじみがないものだと思います。今回は「東京メトロ」と「大阪メトロ」にまつわる名前に込められた想いのおはなしです。

名前に共通していること、違うこと

東京メトロ 大阪メトロ
前々身 東京地下鉄道株式会社(1920-1941)
東京高速鉄道株式会社(1934-1941)
前身 帝都高速度交通営団(1941-2004) 大阪市営地下鉄(1933-2018)
現法人 東京地下鉄株式会社(2004-)
大阪市高速電気軌道株式会社(2018-)

政府と東京都が出資する特殊法人であった帝都高速度交通営団が民営化して、東京メトロが誕生してからまもなく14年を迎えようとしています。一般的には「営団地下鉄」と呼ばれており、正式な法人名を諳んじることができるのは鉄道マニアだけだったかもしれませんが、いずれにしても「帝都」を冠する特殊法人が21世紀まで存在していたというのは不思議な話です。

営団のSマークは1953年から50年にわたって使われた(丸ノ内線西銀座開業式典)

大阪メトロの正式な社名と、東京メトロの前身の法人名に共通するのが「高速」というワードです。高速というと高速道路や高速鉄道などを連想しますので、地下鉄が高速だというのは違和感があるかもしれませんが、自動車や歩行者と道路を共有するためゆっくりと走る路面電車に対して、高架や地下トンネルなど道路と立体交差した線路をスイスイと走る電車を「都市高速鉄道」と呼ぶのです。

いま「鉄道」と書きました。東京メトロの前々身となる2社の社名には「鉄道」という言葉が用いられています。一方、大阪メトロの法人名には「軌道」という言葉が用いられています。法律的には軌道は道路上を走るもの(軌道法)、鉄道は専用の線路を走るもの(鉄道事業法)と定義されています。

珍しい軌道と鉄道の平面交差(愛媛県松山市 伊予鉄道大手町駅)

市営電車と別に民間会社が地下鉄を建設した東京では、地下鉄は「鉄道」として扱われてきましたが、大阪では路面電車の代わりになる交通機関として、道路と一体的に地下鉄整備を進めてきた歴史的経緯から、地下鉄も「軌道」として扱われています。低速な路面電車としての軌道ではなく、地下トンネルを高速で走る次世代の交通機関なので「高速軌道」というわけです。自分たちのルーツを大事にした名前だと思います。

“地下鉄”という不思議な略語

ここまで当たり前のように「地下鉄」と書いてきましたが、よく考えればこれって変な呼び方だと思いませんか? 元々は地下を走る鉄道だから地下鉄道と呼ばれていました。東京メトロの前々身の「東京地下鉄道」とはそうした意味合いで名付けられた社名です。しかし、60年の時を経て民営化したときには「道」が取れて「地下鉄」になっています。その間に道を踏み外してしまったのでしょうか?

1927年12月30日に現在の銀座線上野・浅草間が開業した時の公式資料や写真、ポスターを見てみると、社名と同じく「地下鉄道」と書かれていることに気づきます。1枚目は開業当日の浅草駅の出入口の写真ですが、これでもかというくらいに装飾が付けられていますが、いずれも「地下鉄道」と書かれています。有名な杉浦非水のポスターも同様です。

ところが2年後の1930年1月に上野~万世橋間が開業する頃には、出入口の案内板は「地下鉄」に切り替わっているのです。この間に「地下鉄」なる略語が誕生し、浸透したということになります。

“地下鉄”はブランドだ

いつの段階から「地下鉄」と呼ばれるようになったのか、明確に線を引くことはできませんが、国会図書館デジタルコレクションや新聞記事検索などで調べる限り1927年以前に「地下鉄」という言葉が使われている例はほとんどありません。

1928年に入ると雑誌の見出しなどにちらほらと使われだしますが主流はまだ「地下鉄道」で、「地下鉄」が頻出しだすのは1930年代に入ってからのことです。この頃になると新聞も普通に「地下鉄」という略語を使っています。「東京地下鉄」と書かれているケースもありました。

東京地下鉄道が公式に「地下鉄」という用語を使い始めたのは、おそらく1929年頃と思われます。同社は浅草駅直結のビルを建設し、そこで兼業として食堂を開業するのですが、これを「地下鉄直営雷門食堂」と称しています。

(このビルについてはこちらの記事でも触れています)

東京大空襲と交通営団―1945年3月10日未明の戦い

1930年に上野駅構内に日用品を売る売店を出店し、これを「地下鉄ストア」と名付けてからは、サービスのブランドを示す愛称として積極的に「地下鉄」というキーワードを用いるようになります。出入口の「地下鉄」の看板は、ちょうどこうしたタイミングで同時並行で設置されたというわけです。

最初に「地下鉄」という略語を考えたのが誰なのかは記録に残っていません。「地下鉄道食堂」「地下鉄道ストア」では語呂が悪いので、自然と響きの良い「地下鉄」が浸透していって、ついには公式にも採用されるようになったものと思われます。大阪初の地下鉄「御堂筋線」が1933年に開業した頃には、関西でも完全に「地下鉄」が定着しています。今となっては「地下鉄道」と呼ぶ人は存在しないのではないでしょうか。

“メトロ”も普通に使われていた

「東京メトロ」「大阪メトロ」という呼び方は浮ついていて嫌いだという人がいます。「地下鉄はSubway派」も根強いですね。ただ「メトロ」という呼び方は、地下鉄が開業した頃から使われていたことが確認できます(例えば地下鉄の駅員が「メトロボーイ」と評判だったとか)。

新聞記事の見出しを拾ってみても、大阪市営地下鉄について「一坪六合の土地で七年間の法廷争い メトロの開通を前にして近く実地を検証」やら、東京の地下鉄整備について「十年後に出現する大東京・メトロ : 六大弧線を地下にくり抜く日本橋中心の大交通網」など一般的に用いられていますし、東京地下鉄道が1936年から発行した情報誌の名前も「メトロ時代」だったりします。

そういう意味では、東京メトロも大阪メトロも「地下鉄」と共に「メトロ」という文化も引き継いできたと言えるでしょう。

名前に込められた想い

営団史によると民営化後の新社名の候補に「東京地下鉄道」も挙げられていたようですが、結局新社名は「道」が取れて「東京地下鉄」になりました。ですがこれは歴史の忘却ではなく、自分たちが作り、育て上げてきた「地下鉄」というブランドが遂に完全に定着して、地下鉄道を置き換えたということを示しているように思うのです。

スタートしたばかりの大阪メトロですが、まだその愛称が定着するかどうかも分かりません。大阪市高速電気軌道も行政文書以外では全く聞かなくなってしまうかもしれません。

歴史上正しい呼び名が存在するわけではありません。改名についても必要以上にポジティブまたはネガティブになる必要はありません。名前が変わっても、これまで積み重ねてきたものは変わりませんし、これから積み上げていくものもたくさんあるはずです。それが分かるのは、いつだって、後になって振り返るときなのですから。