【城東電気軌道百年史特別企画 第1回】京成が市内進出の夢を託した或る未成線のはなし

[1903-1913]

昨年12月のコミックマーケット93で、ちょうど100年前の1917年12月30日に開業した幻の電車「城東電気軌道」について、1910年に構想されてから1942年に市電に吸収されるまでの約30年間を中心に、経営者や電気事業、地域など様々な観点から同社の歴史を描いた本を発表しました。

(更新履歴) 2018年2月28日 書泉に増刷分を入荷しました、また自家通販の体制を変更しました 2018年1月11日 正誤表を作成しました(申し訳ございません) 2018年1月9日...

紙幅の関係から本編で詳しく取り上げることができなかった関連事項について、本書に5つの補遺を収録しています。より多くの方に本書の内容をお届けするために、また読者の反応から今後の研究の方向性を探る目的も兼ねて、一部再編集の上公開していきたいと思います。

 

補遺1:その後の江東電気軌道

城東電気軌道は1910(明治43)年5 月6 日に、実業家の本多貞次郎を総代とする計24名が発起人となって出願されました。本多貞次郎は京成電気軌道(現京成電鉄)の創業者として知られる人物です。本多は前年の1909年に京成電気軌道株式会社を設立したばかりで、まだ建設工事にも着手していない段階で新たな鉄道会社の設立に関与していたわけです。

京成電気軌道
出  願 1903(明治36)年11月28日
特  許 1907(明治40)年5月28日
会社設立 1909(明治42)年6月30日
着  工 1911(明治44)年11月9日
一期開業 1912(大正元年)11月9日

城東電気軌道
出  願 1910(明治43)年5月6日
特  許 1911(明治44)年3月7日
会社設立 1913(大正2)年8月20日

城東電気軌道が特許された直後の1911(明治44)年11 月、本多は第3の路線である「江東電気軌道」を出願します。これは京成マニアの間でもその存在がほとんど知られていませんが、隅田村字三才(現在の東武鉄道堀切駅付近)を起点とし、本所区押上、錦糸町と江東地域を縦断しながら砂村新田字元〆(現在の江東区南砂2 丁目交差点付近)に至る環状線です。

これまで本多がなぜ京成電気軌道と平行する放射線である城東電気軌道に参画したのか疑問に思われてきましたが、そこに環状線の江東電気軌道を重ねると3路線で構成されるネットワークの輪郭が浮かび上がってくるのです。

詳しくは本編をご覧いただきたいのですが、結論からいうと本多のネットワーク構想は失敗し、1911年7月に城東電気軌道の経営から身を引きます。京成と城東を結ぶために構想された江東電気軌道は設立の意義を失うのですが、興味深いことに本多は城東電気軌道から離れると同時に江東電気軌道への関与を深め、1913年に新たな路線の免許を申請しています。

それが既に免許出願中の区間に延長する形で隅田村から千住を経由して南千住までの路線で、同社が江東地域から市内方面へと重心を移していこうとする様が見て取れます。当時の東京市域から外れた押上にターミナルを置く京成電気軌道は設立直後から都心への進出を模索し、1917(大正7)年に白髭線、1923(大正12)年に上野延伸を出願していますが、ルーツは1913年に江東電気軌道から出願された延長線計画だったのではないかと考えられます。

実際に京成電気軌道から白鬚線の出願は、江東電気軌道の出願が却下された翌年に行われており、そのルートは江東電気軌道延長線より更に短絡して南千住方面へ進出するものでした。南千住の先は王子電気軌道への乗り入れを狙っていたともいわれますが、いずれにせよこの時代の本多は一貫して同方面への進出を模索していたことが窺えます。

 

そんな京成マニアも気になる内容が詰まった「城東電気軌道百年史」! 気になる方は書泉かネット通販にGOです!

(更新履歴) 2018年2月28日 書泉に増刷分を入荷しました、また自家通販の体制を変更しました 2018年1月11日 正誤表を作成しました(申し訳ございません) 2018年1月9日...