労使問題によって追い詰められた運転士がオーバーランを繰り返した後に速度超過で急カーブに突っ込み脱線転覆して100人くらい死んだ事故のはなし

[1914-1926]都市交通のめばえ

タイトルを読んで100人中99人は福知山線脱線事故を想起したことと思う。2005年4月25日朝9時18分頃、JR福知山線の塚口・尼崎間を走行中の宝塚発同志社前行快速列車が速度超過により脱線転覆し、沿線のマンションに激突、乗客と運転士の合計107名が死亡、572名が負傷したJR史上最悪の鉄道事故である。先週、事故から13年が経過した。

実は「労使問題によって追い詰められた運転士がオーバーランを繰り返した後に速度超過で急カーブに突っ込み脱線転覆して100人くらい死んだ事故」は、今から100年前のアメリカ・ニューヨークでも起きていたことをご存知だろうか。アメリカ鉄道史上最悪の事故と言われる「マルボーン・ストリート事故」である。

ブルックリンで何が起きたのか

事故が起きたのは、第一次世界大戦が停戦を迎える10日前、1918年11月1日の夜のことであった。

20世紀初頭のブルックリンの高架鉄道(出典:nycsubway.org

BRT(ブルックリン・ラピッド・トランジット)フランクリン・アベニュー線の南行列車はプロスペクト・パーク駅に到着しようとしていた。時刻は18時42分、5両編成の車内は家路につく人々で混雑していた。

CountZ氏作成の路線図(CC BY 3.0)から作成、右図は筆者作成

フランクリン・アベニュー線はプロスペクト・パーク駅からブライトン・ビーチ線に乗り入れる。本線線路を回り込むようにしてプロスペクト・パーク駅1番線につながる南行トンネルは、制限速度時速6マイル(時速10km)のきついS字カーブであったが、列車は時速30マイル(約時速50km)のままブレーキをかけずに飛び込んでいった。

1両目はトンネルの数フィート手前で脱線し柱に接触、続く2両目・3両目は左に大きく傾いてトンネル内の柱に激突し車体は屋根から削り取られた。死者のほとんどはこの2両に集中している。4両目・5両目は車体に大きな損傷はなかったものの、窓ガラスが割れて乗客が負傷した。

周辺の地名から「マルボーン・ストリート事故」と呼ばれるこの事故で、少なくとも93名、事故後に死亡した人を含めると102名が死亡したと言われている。

事故現場のトンネル入り口(出典

運営会社のBRTは被害者への損害賠償の影響もあって債務超過に陥り経営破綻、BMTに改組された(最終的にはニューヨーク市に買収されている)。また現場となったバルボーン・ストリートは事故のイメージを嫌って、エンパイア・ブールバードに改称されるなど、ブルックリンの市民にも大きな衝撃と影響を与えた事故であった。

なぜ列車は速度超過でトンネルに突入したのか

この列車を運転していたエドワード・ルチアーノ(29歳)は、事故現場から姿を消した後、自宅で茫然自失としているところを逮捕された。

彼はBRTの職員であったが、その仕事は配車係であって運転士ではなかったのである。なぜ運転士ではない人間が電車を操縦していたのか。実はBRTではこの日から運転士組合がストライキを実施しており、会社側は運転経験のある非組合員を集めて列車の運行を継続しようとしていたのだった。エドワード・ルチアーノはたった2日間練習をしただけで、営業列車の運転を命じられていたのである。

彼は事故の直前、複数の駅でオーバーランをしており、また信号の確認ミスから誤った進路に侵入するというトラブルを起こしていたことから、列車の遅れを気にして速度超過をしていたと考えられている。ブレーキがかけられた形跡はなかったが、本人は電車を止めようとしたが止まらなかったと証言した。

エドワード・ルチアーノは殺人罪で起訴されたが、結局この事故に関して刑事責任を問われたものはいなかった。なぜ彼が大幅な速度超過をしたのかも明らかにならないまま、裁判は終了した。

なぜ制限速度時速6マイルの急カーブがあったのか

元々はプロスペクト・パーク駅方面からフランクリン・アベニュー駅方面に向かう線路が本線であり、アトランティック・アベニュー駅方面に向かう現在の本線は、この事故の直前に建設されたものだった。この連絡線の完成によってマンハッタン島方面に直通する新たな系統の運行が可能になり、利便性が大きく向上したのである。

すなわち、この急曲線は新しく直通運転を実施するための路線改良によって後から生み出されたものだったのだ。このトンネルは1960年代まで営業に使われたが、現在はフランクリン・アベニュー駅から来る列車のほとんどはプロスペクト・パーク駅の4番線(一番右側の線路)を使って折り返し運転を行っているそうだ。

なぜ被害が拡大したのか

事故を起こした車両は車齢30年近い旧式の木造車両で、かねてから老朽化による安全性の不足が指摘されていた。この事故を契機にBRTは全ての車両を鋼製車体とすることにしたが、完了にはなお数年の月日を要した。

この5両編成の列車は進行方向から順に、電動車-付随車-付随車-電動車-電動車の順番で組成されていたが、本来は走行安定性のために電動車と付随車は交互に連結しなければならないと規則に定められていた。被害は2両続けて連結された付随車に集中している。

2両目・3両目が大破した(出典

またこの当時、列車を自動で止めるTrip stop(ATS)や、運転士が何も操作しない場合に自動停止させるデッドマン装置は導入されていなかった。これらの安全装置の整備が進むのは、この事故の後のことだった。

なぜ事故は繰り返されるのか

ニューヨークの地下鉄では、1991年にもレキシントン・アベニュー線のユニオンスクエア駅で大事故が発生している。この事故では、泥酔状態の運転士が大幅に速度超過させたまま駅手前のポイントに突入して列車が脱線転覆。1両目と2両目がトンネルの柱に衝突、車両が折れ曲がるほど大破して5名が死亡した。列車自動停止装置は設置されていたが、あまりに速度が出ていたため止めきることができなかったという。

Photo by Wikipedia(en)

正常ではない運転士と非常識な監督体制によって引き起こされる大事故は、いつの時代もあり得ないものとして糾弾されてきた。しかし、事故は二度三度起きてしまうのはなぜだろうか。

冒頭に記した通り、福知山線脱線事故の事故原因はこれらの事故と多くの点で一致しているが、そこに必要以上の意味を見出そうとしても仕方ないだろう。個人の資質と組織の管理と安全対策に問題が多ければ多いほど、重大事故発生のリスクが増大するというシンプルな教訓があるだけだ。それはいつの時代でもどこの世界でも決して逃れることはできないのである。もしもできることがひとつだけあるとしたら、利用者と事業者ひとりひとりがその教訓を忘れない他はないのだろう。