【新橋駅幻のホームの謎を追え!】第4回 五島慶太あらわる

[1927-1936]都市交通の立体化

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東京高速鉄道の設立

前回の記事では1932(昭和7)年11月に行われた東京地下鉄道と東京高速鉄道の「連絡に関する打ち合わせ」について取り上げました。その際に述べたように、この時点では東京高速鉄道は免許譲渡の許可が下りた段階で、実際に事業を遂行する会社組織の設立には至っていません。

もう一度流れをおさらいしておきましょう。

1931(昭和6)年12月、東京市と東京高速鉄道発起人との間で免許譲渡契約が締結されます。この時付帯条件として、将来東京地下鉄道と合併すること、東京市が買収したいときにはいつでもそれに応じることの2点が示されました。

1932(昭和7)年に市議会の承認を取り付けると、同年8月に鉄道大臣に地下鉄道免許の譲渡許可を申請し、次の条件を付けて許可が下りました。

  1. 発起人は1933(昭和8)年9月30日までに会社を設立する
  2. 本許可は第1号の期間内に会社を設立した時に効力を発する
  3. 鉄道大臣が必要ありと認めた時は、線路および工事方法の変更を命じることができる
  4. 本鉄道の路線中、東京市または東京地下鉄道所属鉄道線路を横断し、またはこれと連絡する箇所については、工事施行認可申請書再提出前にその大綱を定めて、鉄道大臣の認可を受ける

1年以内に会社を設立できなければ免許譲渡を取り消されてしまうのですが、昭和金融恐慌に端を発する長期の深刻な不況下においては、会社の設立のための資本金3000万円の調達が進みません。

期日までの会社設立が困難になった門野重九郎ら発起人グループは期限の1年間延長を申請し、鉄道省・東京市も状況を鑑みてこれを認めます。いよいよ失敗が許されなくなった門野は、事態の打開を図るために鉄道事業の専門家である五島慶太を招聘するのです。

五島慶太は1882(明治15)年に長野県で生まれ、師範学校を卒業して教師になるも、帝国大学に入りなおし、29歳で官僚に転身した異色の経歴の持ち主です。鉄道省を1920(大正9)年に退官し、東急東横線の前身にあたる武蔵電気鉄道の常務に就任すると、事業を拡大させて後の東急グループを築き上げていきます。

五島は郊外私鉄各社、三井・三菱・住友など財閥系資本を説得、協力を取り付けて資金問題を解決すると、1934(昭和9)年9月に東京高速鉄道株式会社の設立を果たします。常務取締役に就任した五島は、事実上の責任者として東京高速鉄道の経営に当たることになりました。

東京高速鉄道の経営方針

1934(昭和9)年11月の役員会で、五島は東京高速鉄道の経営方針を次のように定めました。

東京高速鉄道線ト東京地下鉄道線トノ新橋連絡設計ニ関スル意見

当社ノ免許線タル渋谷新橋間路線ハ東京地下鉄道現在開業線終点新橋駅ニ於テ軌条ヲ直結シテ建設シ而シテ渋谷ヨリ浅草迄車両ノ直通運転ヲ為シ、乗換ノ不便ヲ省クヲ以テ市民ノ交通上及東京高速、東京地下両会社ノ経済上最善ノ案ト信ズ。

東京高速鉄道株式会社は、免許通りに渋谷・東京間を建設するのでも、昭和通り方面に独自延伸を果たすのでもなく、東京地下鉄道浅草・渋谷間への直通運転の実現を目的とした会社であると位置づけたのです。

これに東京地下鉄道は猛反発し、1934(昭和9)年11月5日付で東京高速鉄道に次のような書簡を送っています。

弊社線が虎ノ門に於て御社線と連絡することは昭和7年11月11日鉄道省監督局長より提示されたる事項に基づいて設計せるものにして、此の案は技術上より将又運転上より「ベスト」の案であります。従って両会社が合併せられた暁でもこの案に依るより他に方法はありません

東京地下鉄道 地乙第二八ノ六九号(強調部は原文のまま)

1932(昭和7)年11月に開催された「省新橋駅付近会社線ト譲渡線トノ連絡ニ関スル打合会」の前提を尊重すべきと反論するも、東京高速鉄道はこの主張を一蹴します。

というのも前回の記事で述べたように、鉄道省監督局長が提示した「前提条件」に基づいてまとめられた虎ノ門接続案は、最終的に合意には至っていません。

東京地下鉄道が1919(大正8)年に免許されたのは新橋からそのまま南下して品川方面に向かうルートであり、1931(昭和6)年に虎ノ門交差点を南下するルートで施工認可申請をするも、関係機関と調整が必要であるとして認可には至りませんでした。1932(昭和7)年の打ち合わせはこうした事情を背景に行われたものでした。

東京高速鉄道は前提条件を無視しているのは東京地下鉄道の方であると反撃します。変更後のルートは虎ノ門から新橋まで3号線、虎ノ門以南で2号線とも重複しており、東京高速鉄道と東京市の免許権を侵害するもので、無駄な二重投資であると指摘したのです。その上で、両社の利害を超えて東京の交通問題の大局から判断するならば、今建設すべき地下鉄は新宿線と渋谷線であり、五反田線は優先順位が低いとして、計画そのものの変更を迫りました。

これまでは地下鉄建設・運営を進めてきたという実績を背景に押し切ってきた東京地下鉄道でしたが、鉄道行政を知り尽くす五島慶太を相手に理屈で勝てるはずがありません。東京地下鉄道が反対の論拠とした「虎ノ門接続案は鉄道省監督局長のお墨付き」と「高速鉄道網計画(内務省告示第56号)」は、鉄道省が考えを改めてしまえば何にもならないばかりか、東京高速鉄道の主張をかえって補強する事にもなるのです。

既に私鉄ターミナルとして急成長・急拡大を遂げていた新宿、渋谷から都心部への旅客輸送は東京の都市交通上重大な問題となっており、利用者の少ない五反田や、省線(京浜線)と並行する品川よりも、西側ターミナル駅との直結が求められていたのが現実でした。

五島は既存の地下鉄計画を現実に合わせて書き換えるべく、次なる一手を進めていました。

続く