もうひとつの東京大空襲―5月25日深夜、銀座線表参道にて

山手大空襲で焼け落ちた渋谷東横百貨店
[1937-1945]

1945年(昭和20年)1月20日、第21爆撃集団の司令官に就任したカーチス・ルメイ少将は日本本土空襲の爆撃手法を大きく転換した。従来高度8000メートル以上から行っていた昼間爆撃を低高度からの夜間爆撃とし、焼夷弾を中心とした攻撃で大火災を発生させる方針に改めたのである。

この新戦術が本格的に導入されたのが3月10日の東京大空襲であった。3時間ほどの間に300機以上のB-29から38万発計1700トン以上の焼夷弾が投下され、10万人以上の死者と41平方kmを焼失する大きな被害をもたらした。

大塚駅から池袋方面を望む(1945年4月14日 石川光陽撮影)

ルメイの新戦術の効果が確認されたことで、他の地域にも同様の攻撃が行われていく。4月13日深夜から翌14日にかけて300機以上のB-29が城北地域を爆撃し、2500人近くが死亡、17万戸以上が焼失した。さらに翌4月15日深夜から16日にかけて城南地域に対する大規模な空襲が行われている。

5月24日、25日の山手大空襲

残る地域は5月24日から26日にかけて一気に焼き尽くされることになる。まず5月24日未明、500機以上のB-29が渋谷、世田谷、目黒、大森、品川地域を爆撃し、3月10日の東京大空襲を上回る3000トン以上の爆弾を投下した。

道玄坂通りの焼け跡(1945年5月24日 石川光陽撮影)

そして翌5月25日の夜22時過ぎから、470機のB-29による5回目の大規模空襲が始まった。この攻撃により中野・四谷・牛込・麹町・赤坂などの山手地域から霞ケ関、丸ノ内付近まで大火災が発生。東京赤煉瓦駅舎もこの空襲により全焼し、建造時のドーム型屋根を失った。

奥に見えるのが焼け落ちた丸ノ内赤煉瓦駅舎

3000人以上が亡くなり、16万戸以上が焼失したこの空襲は「山手大空襲」とも呼ばれている。山手地域に住んでいた人にとっては、3月10日よりもこの空襲の方が「東京大空襲」として記憶に残っているそうだ。

この空襲によって東京はほぼ全域が灰燼に帰し、米軍は東京をその地域爆撃リストから外すことになる。

猛火の下、女性車掌の奮闘

5月25日、空襲下の表参道(当時は神宮前駅)で終電間際の地下鉄列車が立ち往生するという事件が発生している。その列車の車掌は1943年12月に営団で初めて誕生した女子車掌一期生12名のうちのひとり、上野百子であった。

上野は3両編成の浅草発渋谷行列車の最後尾に乗務していた。

女性乗務員銃後にて、斯く戦えり―日本女性鉄道員史(後編)

神宮前駅に到着した列車は空襲警報発令を知らせる「赤板」を確認して運転を見合わせた。いつもならば神宮前を出発すると、渋谷駅の手前で地上に出て東横百貨店3階のホームに入っていくのであったが、その日はトンネルの外は猛火が渦巻いていたからである。

運転士と車掌の上野は、反対側の浅草方面ホームにいた回送車両の運転士と共に乗客の避難を試みるが、神宮前駅の地上は猛火に包まれており到底逃げられる状況ではなかった。その時は知る由もなかったが、新橋から渋谷まで沿線全てが火の海だったのだ。渋谷駅からの鉄道電話は「乗客の扱いは、運転士とオマエにまかせる」といって切れてしまった。

上野は車掌歴一年半の僅か19歳の少女であったが、乗客の命を預かる車掌という立場に変わりはなかった。上野は避難を決意し、乗客に呼び掛けた。

「私に続いて下さい」。カンテラを手に、トンネルの軌道内に降りた上野さんは、数十人の先頭に立って、渋谷駅手前の出口へ向けて歩き出した。だが、すごい煙が通気口から吹き込んだ。全員線路の上に腹ばいになり、必死で煙を避けた。

長い夜が明け、全員がどうにか外へはい出した。なかでただ一人、若い母親の腕に抱かれていた赤ちゃんが、煙で窒息死してしまった。

うなだれている上野さんにその母親は、大事に持っていた一かんの水あめを差し出した。

「この子の代わりにがんばってね」と、逆に励ましてくれた。その人のことが「いまも胸につかえています」。上野さんは目頭を押さえた。

読売新聞(1977年11月25日)「モグラ電車は50歳(8)長い防空ごう」

空襲下の地下鉄で亡くなった赤ちゃんの話は、1977年発行の地下鉄運輸50年史には掲載されているが、1991年に発行された『営団地下鉄五十年史』、2004年に発行された『帝都高速度交通営団史』では触れられていない。

終戦から70年以上が経過して、上野の奮闘と、彼女が守った命、守り切れなかった命の記憶は薄れつつある。戦争はいつだって日常生活のすぐ裏側で待ち構えている。そうなれば地下鉄利用者だって無関係ではいられない。

だから今日、73年前の5月25日にあった出来事を書いておこうと思った。

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