【新橋駅幻のホームの謎を追え!】第7回 早川徳次と五島慶太の新橋争奪戦(下)

[1927-1936]

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東京高速鉄道の「共用案」

東京地下鉄道は「虎ノ門接続(下図1枚目)」を前提に、将来的に虎ノ門・新橋間の線路を買収できるのであれば「新橋駅突付け案(下図2枚目)」を認めてもよいと譲歩案を提示しました。

1935年3月29日、門野社長と五島常務は東京地下鉄道の根津社長を訪問し回答を手渡しました。その内容は、東京地下鉄道の「妥協案」をバッサリと切り捨てるものでした。

当社新宿線及渋谷線は、新宿及渋谷より新橋に於て省線及び東京地下鉄道に連絡し、始めて交通上効果ある路線のみならず、交通の実情よりするときは渋谷及新宿より二分間隔を以て運転することを要するが故に、赤坂見附新橋間は一分間隔の運転を必要とし、この区間に他線の介入することを許さず。殊に新橋駅における折返し設備は、東京高速の運転上必要の設備にして地下鉄道に関係するものに非ず。

以上の如く交通上よりするも将た設備利用の厚薄よりするも、東京高速鉄道が独占利用すべき設備の所有権を利用の薄き東京地下鉄道に帰属せしむことは何等の利益と効果とを認めず。

東京高速鉄道の主張はこうです。新宿・渋谷両駅から最短2分間隔で列車を運行した場合、赤坂見附・新橋間は1分間隔の運転になるので他路線の車両が走る余地はない。そして、新橋駅の折返し設備は新宿・渋谷から来た列車の一部を折り返すもので、東京地下鉄道の運転には関係がない。つまり、この区間の設備はいずれも東京高速鉄道が主となって使用するものだから、東京地下鉄道に譲渡することは何の利益も効果もないと切り捨てたのです。

ただし、早く事を前に進めたい東京高速鉄道側も妥協案を提示します。それが「新橋・虎ノ門共用案」でした。

一、東京地下鉄道会社に於て新橋より虎ノ門を経て五反田に至る線路の免許を得て営業開始を為す場合に於いては東京高速鉄道の所有に属する虎ノ門新橋間線路を共用せしむこと

二、共用に要する設備費は東京地下鉄道会社においてその全部を負担すること

三、運転に要する費用は両社の協議を以て定むこと

四、東京地下鉄道会社が線路変更の免許を得て東京高速鉄道会社が東京市と譲渡を予約せる目黒線に重複して地下鉄道を敷設する場合に在りてはその設計に付東京高速鉄道会社に協議すること

五、東京地下鉄道会社の建設したる前項の線路は東京高速鉄道会社が東京市より免許権の譲渡を得たるときは東京高速鉄道会社に共用せしむこと

六、前項共用に要する費用は両社の協議を以て定むこと

七、東京地下鉄道会社は東京高速鉄道会社の渋谷線及び新宿線における車両を浅草まで直通せしむることを承諾すること、但しその運転間隔は東京高速鉄道会社の経営する両線中何れか一線を独立せしむる迄は三分以下たること

あくまでも虎ノ門・新橋間の所有権は譲らないとしつつも、東京地下鉄道が費用負担をするのならば、設備は共用してもよいという提案でした。さらに2号線と競合する五反田線についても設備を共用してもよいと踏み込んだのです。これは東京地下鉄道の「譲歩案」と実質的には同じ内容の提案であり、名を捨て実を取れと迫ったのです。

東京地下鉄道の反撃(怒涛の嫌味)

これに対して同年4月4日、東京地下鉄道は「共用案」を一蹴します。その回答文は東京高速鉄道の回答の文言をあげつらい、徹底的に皮肉と嫌味をまぶした強烈なものでした。少々長くなりますが、全文を引用しながら解説するといたしましょう。

一、貴社の御計画では虎ノ門新橋間を一分間隔で運転することになっておりますから御回答書にもあるように他線列車の介入することを許しません。従って本社線は延長することが出来ません。

二、本社線が延長することが出来ないとなれば本社が免許を得ている新橋札ノ辻品川間並に札ノ辻五反田馬込間の線路を放棄するよりほかに詮術ありません。

三、この様に本社残余の免許線全部を放棄するようなことは会社存立の上からも株主の利益擁護の上からも絶対に承認することはできません。

夫れ許りでなく、斯くては鉄道省が昭和七年十一月十一日提示せられたる条項「渋谷線及び五反田線と新橋浅草線とは車両を直通し得る様設計すること」を順守することができない許りでなく大正十四年三月三十日内務省告示の地下鉄道網を実現することもできなくなります。

四、猶ほ東京高速鉄道株式会社から言っても此の案では渋谷東京駅間の線路を実施することができません。その結果は地下鉄道線路網の破壊となり恨みを後世に残すことになりはしまいかと思われます。

つまりはこういうことです。東京高速鉄道は回答の冒頭で「交通の実情よりするときは渋谷及新宿より二分間隔を以て運転することを要するが故に、赤坂見附新橋間は一分間隔の運転を必要とし、この区間に他線の介入することを許さず」と書いています。ということは東京地下鉄道の電車は新橋から先に入れないじゃないか! と反論したのです。

こうして図示してみると、確かに東京高速鉄道の意図がよく分かりません。そもそも1分間隔で運転可能なのかという点はさておき、これでは「共有」することもできないのです。

ただ、これは東京地下鉄道の曲解だった可能性が高いでしょう。共用案の項目1と2をあわせて読むと「東京地下鉄道会社に於て新橋より虎ノ門を経て五反田に至る線路の免許を得て営業開始を為す場合」に「共用に要する設備費は東京地下鉄道会社においてその全部を負担すること」とありますので、後で東京地下鉄道の負担で増線をするという意味と受け取る方が自然でしょう。ところが東京地下鉄道は「全て当社を妨害する陰謀だ!」と言わんばかりに大反論したのです。

とりあえず次を見ていきましょう。

五、新橋駅における引き換え支線は東京地下鉄道会社線に不要にして、東京高速鉄道線のみに必要なる設備であると言われておりますが、都心より郊外に向かう列車が引返運転を必要としないと言うようなことは全く主客転倒した議論ではないかと思われます。ただし本社が曩(さき)に御社に提示せる三線部分の設計の変更に就いては異議もありません。

この指摘は妥当なものと言えます。一般論として郊外より都心の方が運転本数は多くなります。京浜東北線で言えば全ての電車が大宮に行くわけではなく、一部の電車は南浦和で折り返します。南浦和駅は大宮方面から来る電車ではなく、都心方から来る電車を折り返すための駅です。ですから同様に新橋駅の折返し設備も東京高速鉄道だけに必要なものではありません。むしろ東京地下鉄道の方が必要なものではないかと指摘しているわけです。

ここで注目したいのは東京高速鉄道側の提案内容です。彼らは1935年3月の段階で新橋駅に折返し設備を作るのは東京高速鉄道の都合だと明言し、さらに東京地下鉄道には関係ないから余計な口出しをするなとまで言っていたわけです。つまり、東京高速鉄道はやむを得ず幻のホームを作ったのではなく、最初から一貫した目的のもとに用意したものだということが分かります。

そして最後の項目です。

六、本社が両社線に車両の直通運転ができ得る設計をなし、新橋虎ノ門間連絡平面図を貴社に提示せる節、其綱要中第一に貴社線と本社線とは虎ノ門に於いて連絡すること、第二に本社線が品川、五反田方面に延長運転を為すに至りたる場合は新橋虎ノ門間の(虎ノ門連絡停車場範囲を除く)建設費を支払ふて貴社から同区間の線路の譲渡を受くることとし之に就いて各官公署の同意を得ることを先決条件といたす旨を申し上げました。然るに貴社の御回答では両問題を全部没却してきっぱり御斬りになりました。

本社提案の設計は東京市の交通上から見て最も公正妥当のものであり、且つ鉄道省御指示の条項に従って出来上がったものでありますにも拘らず貴社で御斬りになりました以上は本社にとりましては第一項及至第三項の処で詳述せる如く本社の免許線の残余部分を全部放棄したと同様の結果に陥りますので止むなく別途の路線を選定して品川五反田方面に延長計画をたてるより外に方法は御座いません。

斯うなりますれば御社線との車両の直通運転は技術上からも運転上からも不可能のことになりますので、両社のためにも東京市交通機関の統制上からも実に実に遺憾千万のことでございます。

七、夫れから御回答の最後に「後日東京地下鉄道に於て新橋虎ノ門間に地下鉄道布設の免許を得たる場合に於いては同区間の共用に関しては異議なきものなり云云」と申されて居りますが、此の事に関しては貴社回答書の冒頭に「赤坂見附新橋間は一分間隔の運転を必要とし此の区間に他社列車の介入することを許さず」と明記されておりますから何かの御間違いではないかと恐察する次第です。

東京地下鉄道はあくまで虎ノ門接続案から一歩も引く気はないので、それを無視して「共用案」を提示してきたことに大きな不満を示し、再び「陰謀論」を持ち出して反発したのです。そして最後に「何かの御間違いではないかと恐察する次第です」と嫌味を付け加えるのを忘れません。

おそらく、これは早川が主導して作成した回答だと思われます。この時既に早川と五島の関係は修復不可能な領域に入りつつありました。

小林一三の協定案と協定締結

この泥沼の対立の仲介に乗り出したのが小林一三です。小林一三といえば言わずと知れた阪急電鉄の創業者ですが、この時は阪急の社長を退任し会長に就任するとともに、東京電燈(現在の東京電力の前身のひとつ)の社長を務める傍ら、東京高速鉄道の取締役に就任していました。そういう意味では第三者ではないのですが、私鉄経営界で確固たる地位を占める小林が仲介するということで、事態はようやく一歩前に進み始めます。

小林一三は1935年5月2日に以下の協定案を提示しました。

一、地下鉄は高速の希望通り、渋谷、新宿相互二分発運転として渋谷発は新橋にて引返し新宿発を浅草迄連絡乗入運転異議なきこと。同時に浅草発新橋行きを二分毎に新宿迄乗入運転のこと。

二、地下鉄五反田線の工事に着手せんとするときは予め工事方法について高速に協議し其同意を得ること、協議纏まらざる場合には双方の意見を鉄道省に提出し其裁定を受くること。鉄道省の裁定に対しては双方異議を言はざること。

内容は決してスッキリしたものではありません。ただ工事施行認可申請から既に3カ月が経過しており、このままでは工事が遅れるばかりとなることから両社の直通運転だけ優先して合意し、それ以外の事項は今後の協議事項として先送りすることにしたのです。協議がまとまらない場合は鉄道省の裁定に従うという、東京地下鉄道の主張にも一定の配慮を見せた内容でした。

そして同年5月31日、五島常務と田中支配人が東京地下鉄道本社に赴き、次の協定書に調印するに至りました。

協定書

東京高速鉄道線と東京地下鉄道線との連絡に関し左記の通協定す

第一、東京地下鉄道株式会社及び東京高速鉄道株式会社両社の車両は地下鉄及び高速線内を二分間隔にて連絡直通運転することに両社は異議なきこと

第二、地下鉄五反田線の工事に着手線とするときは予め工事方法について高速鉄道に協議し其の同意を得ること協議纏まらざる場合には双方の意見を鉄道省に提出し其の裁定を受けること鉄道省裁定に対しては双方異議を言わざること

以上の協定を確保するため本書二通を作成し各自一通を保有するものとす

昭和十年五月三十一日

東京高速鉄道株式会社 取締役社長 門野重九郎

東京地下鉄道株式会社 取締役社長 根津嘉一郎

こうして1935年5月31日に新橋駅での直通運転が合意され、以降この合意に従って準備が進められることになります。つまり東京高速鉄道新橋駅が開業する3年半も前に、直通問題は一応の解決を見ていたことになるのです。しかし、両社の対立はまだ1年以上も続くことになります。

というのも東京地下鉄道からすれば五反田延伸の実現可能性は担保されたものの、虎ノ門・新橋間の設計が完了するまでに要望を出さなければ、既成事実で押し切られてしまう可能性が高い状況になりました。そこで東京地下鉄道は五反田延伸計画を早急に具体化させ、協議に持ち込まなければならなくなったのです。第一ステージの決着は、すなわち第二ステージの開幕を意味していました。

(続く)