閉店した伊勢丹松戸店の近くに私鉄のターミナルが置かれていたかもしれないというはなし

[1903-1913]

一昨日、伊勢丹松戸店が閉店しました。近年は郊外や地方の百貨店の撤退が相次いでいます。確かに私が柴又や新鎌ヶ谷に住んでいた時は、松戸に出ることはあっても伊勢丹に入ったことは一度もなかったように思います。

 伊勢丹松戸店(千葉県松戸市)が21日閉店し、44年近い歴史に幕を下ろした。この日は雨にもかかわらず午前10時の開店前から約1000人が並び、同店は10分早めて最後の営業を開始した。

 1974年に開店。地上11階・地下1階で売り場面積は延べ3万1268平方メートル。松戸駅西口地区の中核的な商業施設として市民らに親しまれたが2008年度から赤字が続き、昨年9月に閉店が発表された。

出典:毎日新聞(2018年3月22日)

ピークの1996年には300億円以上の売り上げを記録していたそうですが、近年はリニューアルしても利用減少に歯止めがかからず、遂に閉店と相成りました。柏に対して地位を低下させている松戸の窮状を象徴していると言えるかもしれません。

 

伊勢丹松戸店はJR松戸駅西口の南側「坂下」と呼ばれる地域に立地していました。現在の住居表示では坂下という地名は残ってませんが、松戸市の都市計画上に今もその名前を確認することができます。城東電気軌道のターミナルはここに置かれることになったかもしれませんでした。

城東電気軌道は1911年に取得した錦糸町から今井橋の免許線に加えて、1912年7月に今井から江戸川を渡って北上し総武線・京成線を越えて松戸駅まで至る路線を追加申請しています。現在の武蔵野線や新京成線よりもう一回り小さな環状線で、この路線が実現していれば江戸川区と千葉県の浦安・市川エリアの住宅化は東西線の開通を待たずにもっと早く進んでいたかもしれません。その場合は城東電気軌道は路面電車ではなく私鉄通勤路線として現在も生き残っていたことでしょう(多分京成と合併していますが)。

この路線に関する記録は江戸川区史に僅かな記述がある以外ほとんどなく、国立・都立の公文書館にも申請資料は残されていませんが、『城東電気軌道百年史』では当時の新聞記事やその他の申請書類から計画を解き明かしました。たとえばその一つが当時の朝日新聞の記述です。

廣澤伯を創立委員長として創立計画中なる本所柳原町より千葉県松戸字坂下に至る本線約十四哩並に支線約三哩四十鎖を軌道とし資金総額を一百万円として株式募集中なりし城東電気軌道株式会社は総株数二万株の内一万五千株は発起賛成人に於て引受け残り五千株を其後の公衆募集に付し既に満株となりたれば両三日中に第一回(証拠金共十二円五十銭)を払込しめ来月早々創立総会を開く筈なりと

出典:東京朝日新聞(1913年4月21日)

これらの断片的な情報と当時の市街地分布や地形等から推定すると、この計画線は以下のようなルートで申請されたものと考えられます。終着地の松戸駅は坂下地区、つまり伊勢丹松戸店の付近に置かれる予定でした。

「今昔マップ on the web」(©谷 謙二)により「国土地理院1/20,000地形図(明治29-42年)」及び「色別標高図」を用いて作成

伊勢丹が1974年に進出する以前は松戸店の場所には学校があったそうで、1909年の地図にもその存在を確認することができます。当時の市街地は学校より西側の街道脇が中心で、東側の常磐線線路脇には水田が広がっていたようなので、このあたりに駅を設置するつもりだったのかもしれません。

赤い点が松戸店の位置(文のマークがみえる)「今昔マップ on the web」(©谷 謙二)により作成

他にも様々な未成線計画を持っていた城東電気軌道。興味を持った方は是非『城東電気軌道百年史』をご覧ください!

城東電気軌道百年史紹介ページ