【城東電気軌道百年史特別企画 第5回】城東電気軌道を踏み台にした男―詐欺師高柳淳之助(下)

総武線両国橋・錦糸町間の被害:鉄道省鉄道震害調査書
[1914-1926]都市交通のめばえ

昨年12月のコミックマーケット93で、ちょうど100年前の1917年12月30日に開業した幻の電車「城東電気軌道」に関する本を発表しました。引き続き書泉での書店委託及び通信販売で好評発売中です(詳細は下記特設サイトまで)!

(更新履歴) 2018年2月28日 書泉に増刷分を入荷しました、また自家通販の体制を変更しました 2018年1月11日 正誤表を作成しました(申し訳ございません) 2018年1月9日...

より多くの方に本書を知っていただくとともに、読者の反応から今後の研究の方向性を探るために、本書に補遺として収録した「本論では取り上げきれなかったトピックス」を再編集のうえ順次公開していきます(これまでの記事はこちら)。

 

補遺5:高柳淳之助と城東電気軌道(続)

続編です。前回の記事はこちら。

【城東電気軌道百年史特別企画 第4回】城東電気軌道を踏み台にした男―詐欺師高柳淳之助(上)

高柳淳之助が鉄道株に注目するきっかけ、つまり池上電気鉄道買い占めの発端となったのが、城東電気軌道株の取引きで巨額の利益を得たことでした。彼は晩年に出版した自伝『事業を生かす頭』にて、城東電車株を購入した経緯について以下のように語っています。

その頃私は月刊雑誌「富之研究」を発行して、金儲けの先生として、全国的に鳴らしていた。農家の副業だの小商人金儲けのネタだのを探して誌上に発表するので人気があった。

城東電気軌道第4代社長 大川平三郎

その記事を作るために私は城東電車の錦糸堀の駅前に立って乗降客の数を調べていたが、これは直接社長にぶつかって聞く方が早いと思って、社長の大川平三郎に面会を求めてみたが、難しいと思った大川社長が簡単に会ってくれたので、城東電車の株が最近まで一株七十円もしていたのに、何で今一株二十円台まで下がったかと尋ねた。ところが社長はこの二三町先に荒川放水路ができるので電車道が二つに打ち切られるためだと、そのわけを説明してくれた。で私は、その時はどうしますかと質問したら、「ナニ平チャラさ、毎日々々運転している電車道の下をいくら政府でも無断で掘りはしますまい」と笑うので、私はこれは社長として成算があるな、この下がった株は今買い時だとピンときた。

それから私は城東電車の株の買占に狂奔した。大体総株に近い買い占めに成功した時、株主総会があった。私が出席して見ると大川社長は「今日は株主の出席が悪いな」といって開会を宣言したが、出席が悪いも道理、私が株の買占をしたのが分って、大川社長は総会を休憩して私に城東電車の重役になってくれと交渉して来た。私はすぐそれを承諾した、そして私は天下の実業家渋沢栄一、星野錫と伍して城東電車の重役となった。

出典:高柳淳之助『事業を生かす頭』p.19-20

高柳がまとまった城東電気軌道株を手に入れて、1921年6月の株主総会で同社監査役に就任したことは事実ですが、彼は生来の嘘つきなので自伝にもたくさん嘘が散りばめられています。

荒川放水路について「毎日運転している電車道の下を無断で掘らないだろう」とありますが、城東電気軌道は最初から最後まで荒川放水路区間に線路を建設していませんし、放水路の先に江戸川線を開業するのもずっと後になってのことです。そもそも荒川放水路は城東電気軌道が設立されるより前に着工しており、この頃は通水間近という段階です。

1919年の地図。通水はされていないが放水路の形はできている(今昔マップ on the webで作成)

総株に近い買い占めに成功したとあるのもあまりにも誇大な表現です。1921年上期末時点の株主名簿を見ると、高柳本人と系列投資会社の持ち株は合計2910株で、全3万株の1割弱でしかありません(大株主に違いはありませんが)。

城東電気軌道1921年下期営業報告書より

総株主数もその前後でほとんど変わっていないので、高柳が“買い占め”したために出席率が悪くなったように見えたというのもあり得ません。

また「渋沢栄一、星野錫と伍して城東電車の重役となった」とあります。確かに城東電気軌道は渋沢系企業ですが、渋沢栄一が直接経営に参加したことはありませんし、星野錫も一時期監査役を務めていましたがこの時点では離れています。これも嘘です。

他にも渋沢や大川に一目置かれたという嘘くさいエピソードがいくつも登場しますが、これらの記述からは渋沢系実業家の名前を使って自分に箔を付けようとする高柳の意図がうかがえます。株を手放すことになった経緯も同様に虚飾を散りばめて書かれています。

或日株屋の小僧らしいのが神田駿河台下の私の事務所へやって来て、城東電車の株を一株六十円で売ってはくれまいかという、十二三の小僧奴、人を馬鹿にしていると思ったので、「売ってもいいさ、但し私の持っている株全部だよ」というと、ありがとう、早速金を持ってきますと帰って行ったが、二三時間過ぎると、その小僧七ハ十万の現金を人力車に積んで持ってきて、株を引き取りに来たという、約束だから仕方ない、金庫を開けて全部渡してやった。お陰で一株で二十円程儲かり全部で一挙二十数万円儲けた。(中略)

その代り、有望な城東電車の重役は失格して免職になってしまった。株屋の小僧さんと見たは、実は大川社長の使のものだった。(中略)あの小僧に騙されなかったら私は当時の日本第一流の大実業家と交際が出来て、どんな大事業家になり得たかも知れなかったのに、エイ残念。エイくやしい。

出典:同上 p.20-22

もちろん実際はそんなコメディめいた話ではなく、高柳を警戒した城東電気軌道経営陣が株を高値で買い取って追放したのです。登記上は1922年1月12日付で城東電気軌道監査役を離任していますが、池上電気鉄道株を買い集めて同社の取締役に就任するのが1921年9月なので、株主総会後すぐに決着をつけたものと考えられます。

高柳は城東株の成功体験が忘れられず、次なる獲物を探します。そこで目を付けたのが池上電気鉄道だったのです。

かくて城東電車では一挙にニ三十万儲けた、金儲けは電車に限ると私は思った。同じ柳の下にドジョウがいないかと目を皿にして電車を見て歩いた。ところがあったよ、あったよ、いい電車が見つかった、それが池上電車だ。

出典:同上 p.22

高柳と城東電気軌道の因縁はこれだけではありません。

城東電気軌道は関東大震災で錦糸町の変電設備が焼失してしまい、施設や車両の被害は少なかったにもかかわらず、すぐに変電機を調達できないためなかなか運転再開できない事態に追い込まれました。結局、中古の300kW変電機を調達して運転再開にこぎつけたのですが、実はこれは池上電気鉄道から購入したものだったのです。

高柳は自伝に「縁故もあるので一台は城東電車に譲ってやった」といかにも善意のように書いていますが、別の箇所では自慢げに「丸焼の城東電車の懇望で二万五千円で譲り渡して八千円儲かりました」と書いています。彼にとっては城東電気軌道はいつまでも踏み台に過ぎなかったということでしょう。
前回も触れましたが、最終的に高柳は詐欺・横領・背任で告発され、実態は経営破綻状態にあった池上電気鉄道は川崎財閥の手に渡ります。そこで頭角を現すのが後藤国彦で、彼はその後川崎財閥から独立し、本多貞次郎の跡を継いで京成電気軌道の第2代社長を務めるなど戦前私鉄を代表する鉄道経営者のひとりとなりました。ここで再び京成と繋がってくるのには不思議な縁を感じます。

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