【城東電気軌道百年史特別企画 第2回】城東電車と行徳の人力鉄道のただならぬ関係

城東電気軌道百年史

昨年12月のコミックマーケット93で、ちょうど100年前の1917年12月30日に開業した幻の電車「城東電気軌道」に関する本を発表しました。引き続き書泉での書店委託及び通信販売で好評発売中です(詳細は下記特設サイトまで)!

城東電気軌道百年史
(更新履歴) 2018年2月28日 書泉に増刷分を入荷しました、また自家通販の体制を変更しました 2018年1月11日 正誤表を作成しました(申し訳ございません) 2018年1月9日...

より多くの方に本書を知っていただくとともに、読者の反応から今後の研究の方向性を探るために、本書に補遺として収録した「本論では取り上げきれなかったトピックス」を再編集のうえ順次公開していきます(他の記事はこちらから)。

 

補遺3:行船人車軌道と船橋延長線計画

城東電気軌道は荒川以西に小松川線、砂町支線・洲崎線、荒川以東に本線から孤立した江戸川線を開業させるに留まりましたが、実現しなかった未成線、計画線は多く、創立当初は浦安、松戸、船橋など千葉方面への進出も模索しています。

そのひとつ船橋への延長計画では、同時期に計画されていた行船人車軌道という「人力鉄道」と手を組もうとした記録が残っています。

行船人車軌道は行徳町の有力者によって計画された行徳・船橋間約7㎞の人車軌道路線で、1910年5月に出願され翌年3月に特許(建設の許可)が下りています(下図は出願書類に添付された地図に筆者が着色したもの)。旅客輸送の他、船橋付近の甘藷や薪炭など主要農産物や食塩を東京に出荷する貨物輸送を計画していました。

人車軌道とは人夫が線路上の客車・貨車を押して営業する人力の鉄道です。そんな乗りものが存在するのかと驚かれる方も多いかもしれません。

下の写真(出典:神奈川県ホームページ )は1895年から1923年まで小田原・熱海間で運行した豆相人車鉄道のものですが、4人乗り程度の小さな客車を人夫が手で押して運行する様子が分かります。約25㎞を4時間ほどかけて走っていたそうです。鉄道と考えると違和感があるかもしれませんが、人力車がレールの上を走っていると思えば納得できるでしょうか。

関東ではその他に、千葉県で江戸川の水運との連携を図った野田人車鉄道や東葛人車鉄道や、栃木県でも石材や石灰の輸送を目的とした人車鉄道が複数建設された。また、東武鉄道に買収されて東武桐生線の原型となった太田軽便鉄道や、京成に買収され京成金町線に組み込まれた帝釈人車鉄道などの事例があります。城東電気軌道の狙いもそれでした。

松戸方面への延伸を断念した城東電気軌道は、次善策として船橋方面への延伸を計画します。そこで目を付けたのが、特許が下りたもの資金不足で着工できずにいた行船人車軌道でした。人車軌道と電気軌道はどちらも軌道条例という同じ法令に基づいて建設が許可されるため、路線の動力を人力から電力に変更申請するだけで特許を使いまわせるということで、城東電気軌道は行船人車軌道と合併契約を締結し行徳・船橋間の特許を譲り受けることになりました。

ところがこの合併契約が思わぬ騒動を引き起こします。行船人車軌道の株主から、城東電気軌道との合併契約は株主総会の承認を得ずに一部役員の独断により結ばれたものであると異議が申し立てられ、経営陣が商法違反で告発される事態となってしまうのです。特許状は裁判所に差し押さえられたまま期限切れで失効してしまい、城東電気軌道の目論見は泡と消えました。

その後、城東電気軌道から改めて同区間の特許が新規出願されますが、同社も資金不足で行き詰まり、経営陣の更迭によって千葉県への延伸計画は断念されることになったのです。

 

最後まで荒川放水路を越えられなかったことで知られる城東電気軌道が抱いていた、荒川どころか江戸川も越えていく壮大な野望を解き明かす「城東電気軌道百年史」! 気になる方は書泉かネット通販にGOです!

城東電気軌道百年史
(更新履歴) 2018年2月28日 書泉に増刷分を入荷しました、また自家通販の体制を変更しました 2018年1月11日 正誤表を作成しました(申し訳ございません) 2018年1月9日...